衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2019年02月16日    土曜日     第5 回の開示 合計1267回の開示

意根には念心所がある

もし意根が法を念じなければ、意識はどのように念じるのでしょうか。意根と念じられる法が接触し、了別しようと考える時、如来蔵はそれに随順して意識を生じさせます。意識は意根の指令に従い、意根が念じる法を了別して念じ続けます。もし意根が法を念じなければ、法と接触せず、了別や造作を求めず、如来蔵は意識を生じてさらなる行為を起こすことができず、法を念じる意識も生じません。

意根が念じない法は現れず、意識が念じる法は全て意根が念じた結果であり、意根が配置し動員した結果です。意識は意根との触縁がなければ生じず、意根の思心所の決定がなければ生じません。意識単独では自身の発生や一切の活動を決定できず、主導識でないが故に自在ではなく、意根の道具として意根の指揮に従います。

五識にすら念心所があるのですから、ましてやこれほど聡明で重要な主導識には、なおさら念心所が備わっているのです。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

止観とは定慧です

次の記事 次の記事

万法を伴わないものとは何でしょうか?

ページのトップへ戻る