衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2019年02月17日    日曜日     第2開示 合計1269開示

老僧、悟りの中におりません

趙州和尚は次のように開示された:至道を得ることは難しくない、唯だ嫌うのは分別することである。言葉が生じるやいなや、それは分別であり、明白である。わたくし老僧はこの明白の中にはいない。最初の二句は禅宗三祖の開示であり、その意味は、あの大道を識得しようとするのは難しくないが、思考・選択・分析・判断・推理・識別などが可能な心の作用である意識心を大道だと見做すことを恐れるならば、それは逆方向に向かうことになる。これらの心の働きを大道と見做すのは、道に背くことである。これらの心の働きは大道である本覚には相応しない。本覚の自性は分別せず、主導せず、分析せず、判断せず、思考がない。第八識である本覚にはこれらの心の働きはなく、もしこれらの心の働きがあるならば、それは必ず意識心のなすことであり、本覚ではない。

趙州はこれについて注釈を加えて述べている:言葉や文字、内面の思考がひとたび生じるや、これがすなわち分別であり、明白である。わたくし老僧はそもそもこの明白の中にはいない。趙州の意図は、本覚である第八識には言葉がなく、話すこともできず、思考・分析・判断もせず、一切を分別せず、六塵の境界を一切明白にせず了解しないということであり、このような明白性・了知性は意識心によるものであり、真実の趙州たる私ではない。

——生如法師の開示
前へ前へ

万法を伴わないものとは何でしょうか?

次へ 次へ

出家の功徳と利益----『仏説出家功徳経』抜粋

ページトップへ戻る