その時、阿難は手を叉ねて仏に白して言った。「世尊よ。もし人が他人を出家させ、あるいは出家者がいれば、その必要とするものを満たしてやるならば、どれほどの福を得るのでしょうか。また、もし人が他人の出家の因縁を壊し、妨げるならば、どのような罪報を受けるのでしょうか。どうか世尊よ、詳しくお示しください。」
仏は阿難に告げた。「阿難よ、もしお前が満百歳の間、このことを私に問い続けたとしても、私は無尽の智慧をもって、飲食の時を除いて、満百歳の間、広くお前に説き明かしても、この人の功徳はなお尽きることがないであろう。この人は常に天上と人中に生まれ、常に国王となり、天人の楽しみを受ける。もしこの沙門の法の中で人を出家させ、あるいは出家の因縁を助け成し遂げるならば、生死の中にあって常に楽しみを受ける。私が満百歳の間、その福徳を説いても、尽きることはない。それゆえに阿難よ、お前が満百歳の間、命ある限り私に問うても、私が涅槃に入るまでこの功徳を説いても、やはり尽きることはない。」
仏は阿難に告げた。「もし人が他人の出家の因縁を破壊するならば、それはすなわち無尽の善財福蔵を奪い取り、三十七品菩提分法という涅槃の因を壊すことである。もし出家の因縁を壊そうとする者がいるならば、よくよくこのようなことを観察すべきである。なぜならば、この罪業の縁によって地獄に堕ち、常に盲で目がなく、極めて甚だしい苦しみを受けるからである。もし畜生に生まれ変われば、やはり常に生まれながらの盲となる。もし餓鬼の中に生まれれば、やはり常に生まれながらの盲となる。三悪道の苦しみの中で、久しくしてようやく脱することができるのである。
もし人間に生まれるならば、母の胎内にいる時から盲である。お前が百歳の間、常にこの意味を問うても、私が百歳の間、無尽の智慧をもってこの罪報を説いても、やはり尽きることはない。
四道(地獄・餓鬼・畜生・人間)の中に生まれて常に盲である。私は決して、この人に解脱の時が来るであろうとは記さない。なぜならば、すべて出家を毀ったことによるからである。
あるいは無辺の功徳を成就すべきところを、このような善き因縁を破ったが故に、無量の罪を受ける。出家を妨げたが故に、この清浄なる智慧の鏡の中で、解脱の諸善法のためにあるべき眼を。
もし出家して浄戒を修持し、解脱の処に向かう者を見て、その出家を破り、妨げをなすならば、この因縁によって、生まれながら常に盲となり、涅槃を見ることができない。出家を毀ったが故に。
常に痴等の十二因縁を観じて、解脱を得るべきところを、他人の智慧の眼を毀ち破り、出家の縁を破ったが故に、智慧の眼を覆われたが故に、生まれから生まれへと、常に盲で目がなく、三界を見ることができない。出家を妨げた縁故に。
出家は五蘊・二十の我見を観て、人としての正道を趣くべきところを、出家の因を破り、正見を壊したが故に、生まれるところ常に盲となり、正道を見ることができない。
出家は一切の法の集まり、善法の住処を見るべきであり、諸仏の清浄なる法身を観るべきところを、出家の善き因縁を破ったが故に、生まれるところ常に盲となり、仏の法身を拝見することができない。
出家の因によって沙門の形貌を具え、持戒清浄の福田となり、仏道の因を種うべきところを、出家を破ったが故に、善法の中で一切の望みを断たれる。この罪の縁によって、生まれながら常に盲となる。出家を毀ったが故に。
出家は一切の身心が皆、苦・無常・無我・不淨であると善く観察すべきところを、他人の出家を破り、妨げをなすならば、この眼(観察の智慧)を破るのである。この眼を破ったが故に、四道(四向四果)・四念処・四正勤・四如意足・五根・五力・七覚分・八聖道という涅槃の城に趣くべき道を見ることができなくなる。この罪の縁によって、生まれるところ常に盲となり、空・無相・無作という清浄なる善法が涅槃の城に向かうことさえ見ることができない。
それゆえに智慧ある人は、出家する者がこのような善法を成就すべきであり、善法の因縁を破壊してはならず、このような罪を獲るべきではないと知るのである。誰であれ、他人のこのような出家、沙門の正見の因縁を毀ち破る者は、終に涅槃の城を見ることはできず、生まれるところ常に盲となる。
もし人が満百劫の間、他の方(世界)で出家し、浄戒を修持したとしても。
もし人がこの閻浮提(南瞻部洲)で出家し、戒を持ち、一日一夜、あるいは須臾の間でも清浄に出家するならば、その功徳は十六分の一にも及ばない。先の百劫の出家持戒の功徳の十六分の一にも及ばないのである。
もし道理に反して、姉妹や娘など、淫すべきでない相手に強いて貪欲や嫉妬を生じさせるならば、この中の罪報は計り知れない。
もし一人の人が正しく思惟して出家の心を起こし、諸々の悪を捨てようとするならば。
もし人がこの人の出家の因縁を破壊し、その願いを満たさせないならば、この罪の因縁は先の(罪)よりも増長し、さらに百劫倍にもなる。
その時、阿難は再び仏に白して言った。「世尊よ、この毘羅羨那(人名)が種を蒔いた善根は、尊貴な処に生まれ、福楽を受けることでしょう。これは過去世にも善い行いがあったためでしょうか。それとも、ただ今この一日一夜の出家の功徳だけで、これほどの福を受けるのでしょうか。」
仏は阿難に告げた。「お前は過去の因縁を観るべきではない。この一日一夜、清浄に出家した故に、この善根によって、六欲天の中で七反(七度)福を受ける。二十劫の間、常に生死の世間の楽しみを受ける。最後に人間の中に生まれ、福楽の家に生まれる。壮年を過ぎ、諸根が熟した時、生老病死の苦を畏れるが故に、出家して戒を持ち、辟支仏となるのである。」
仏は阿難に告げた。「私は今、譬えを説く。お前はよく聞け。譬えば四天下、東の弗婆提(東勝神洲)、南の閻浮提(南瞻部洲)、西の瞿耶尼(西牛貨洲)、北の郁単越(北倶盧洲)に、阿羅漢が稲麻竹葦のように満ちているとする。もし一人の人が満百歳の間、心を尽くしてこれらの阿羅漢を供養し、衣服・飲食・病瘦の薬・房舎・臥具を施し、乃至涅槃の後には塔廟を建て、種々の珍宝・花香・瓔珞・幡蓋・伎楽を用い、諸々の宝鈴を懸け、香水を掃洒し、諸々の偈頌をもって讃歎供養する。その得る所の功徳は、もし人が涅槃のために出家受戒し、乃至一日一夜の間に為す所の功徳と比べれば、十六分の一にも及ばない。この因縁によって、善男子よ、出家して浄戒を修持すべきである。諸々の善男子よ、諸々の功徳を求める者、善法を求める者、自ら法を受ける者は、出家の因縁を妨げてはならない。勤めて方便をはかり、勧めて成し遂げさせよ。」時に諸々の大衆は、仏の説かれたことを聞き、厭離の心を起こさない者はなかった。出家して戒を持つ者、須陀洹を得る者、乃至阿羅漢となる者、辟支仏の善根を種う者、無上菩提心を発する者があり、皆大いに歓喜し、頂戴して奉行した。
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