衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年10月09日    火曜日     第3 回の開示 合計898回の開示

一切法には意根の選択作用がございます

我々の身体活動は、意根が脳の作用を調節して現れるものであり、六識の協力があります。例えば朝目を開ける時、目は自動的に開くのではなく、意根が命令を発し、六識を調節して目を開かせます。食事の際、意根が満腹の信号を知り、食べるのを止めると決定すれば、六識に食事を停止するよう命令し、六識は命令に従って食べるのを止めます。これも意根が脳を通じて全身の活動を制御できることを証明しており、全身の活動は全て六識の活動です。顔を赤らめたり怒り狂ったり、あるいは喜びに満ち笑顔になるなどは、全て意根の煩悩や情緒によって表れるもので、意根が操作した結果です。

意根は何を根拠に命令を発するのでしょうか。色身の状況を、なぜ意根は正確かつ即座に把握できるのでしょうか。色身の中の一切法は如来蔵が現出し保持しているものであり、食事の程度も如来蔵が刹那的にありのままに反映します。意根は如来蔵に依って全てを知り、知った後に抉択心を生じ、決定を下して命令を発します。もちろん意根が六塵境界を知ること、身体の詳細な状況を知ることは、六識の了別を通じて得られます。昏迷時や睡眠時の身体状態も、如来蔵が刹那的にありのままに反映し、意根は即時に知ることができます。この時には意識は全く存在せず、意根が如来蔵に依って単独で知っているのです。

また突然知人に会った時、意識ではどうしても相手の名前が思い出せないが、名前を知っている感じがし、非常に親しく感じ、今まさに口に出せそうな状態になることがあります。この状況は単に意識が思い出せないだけで、意根が相手と名前を認識していないわけではありません。相手が去った後、意識は突然思い出します。なぜ意識が思い出すのか? それはやはり意根が意識にある情報を与えたため、意識が突然思い出すのです。一切法の運営には必ず意根の作用があり、必ずしも意識の作用があるわけではありません。もしある機能作用について、意根の作用の有無や作用の大小が分からない場合、六識のない幾つかの状態を想い起こし、意根が如何に働くかを考察すればよいのです。

——生如法師の開示
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