真実に存在する理体のみが生じる働きを持ち、他の法を生じることができます。如来蔵は真実の理体であり、一切の法を生じることができますが、如来蔵は七大種子を用いて一切の法を創造しなければなりません。このように、七大種子は如来蔵の中に実在し、真実に存在していなければ、如来蔵はそれを使用できず、一切の法を構成することもできません。もし実体がなく、真実に存在しなければ、他の法を創造することはできません。仮想のものは他の法を構築できません。なぜなら、存在せず、実体がないからです。
ある法が絶対的に真実であるかどうかを判断するには、それが恒常に存在するかどうか、生じる必要がないかどうか、永遠に変化しないかどうかを見る必要があります。恒常とは無余涅槃の時を含みます。如来蔵と七大種子は永遠に存在し、たとえ無余涅槃の中にあっても、永遠に生じる必要はなく、それら二者を生じる法は存在しません。逆に、一切の法は二者によって生じるものです。
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