ある方がお尋ねになるかもしれません:もし私が臨終の際に極楽浄土に往生するならば、極楽浄土はどこにあるのでしょうか。それは実在するものなのでしょうか、それとも虚妄のものなのでしょうか。もちろん私たちが接触できる極楽浄土も第八識である如来蔵が幻化した影像に過ぎず、私たちは外側の相対的に真実な極楽浄土に接触することはできません。外側の相対的に真実な極楽浄土は、阿弥陀仏および阿弥陀仏や極楽浄土と縁のあるすべての衆生の、彼らの如来蔵が共同で変造し、かつ共同で執持しているものなのです。
八つの識の中で、第八識だけが外側のいわゆる真実の極楽浄土の物質的色法に真に接触することができ、私たちの六識は接触することができず、ただ第八識が幻化した影像に接触できるだけです。では、もし極楽浄土に行くことができるなら、どこの極楽浄土に行くのか、極楽浄土が結局どこにあるのか、心の中で理解すべきであり、第八識がどこで蓮華を変造しているのかも理解できるでしょう。
実際、内と外に分かれた極楽浄土はどちらも存在しており、内と外に分かれた蓮華もどちらも存在しています。
もし私たちが往生できるなら、それは真に往って真に生まれることなのでしょうか。往生する時、本当に外側に阿弥陀仏や菩薩方がお迎えに来られるのでしょうか。本当に外側に蓮華があって私たちがその上に座れるのでしょうか。いったい誰が本当の蓮華の上に座れるのでしょうか。自分自身の家のベッドや椅子でさえ、本当にその上に座ることはできないのです。
私たちは外側の相対的に真実な極楽浄土に真に住むことはできず、住むとしても自分自身の第八識が幻化した影像の中、ブラックボックスの中の極楽浄土に住むことになります。一切の法は幻化されたものであり、一つの法として真実なるものはありません。第八識がブラックボックスの中で蓮華と極楽浄土を変造し、もし六識が縁することができるなら、それはこの影像を縁するのであって、実質的な極楽浄土に接触することはありません。これは非常に重要な認識であり、よくよく実践的に観行すれば、我見を断つことができ、徐々に我執も断ち切られ、解脱を得ることができるでしょう。
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