衆生無辺誓い度す
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日常開示

2024年12月17日    火曜日     第1 回の開示 合計4299回の開示

催眠状態における意根の心理活動の観察

ある人の意識が微弱であれば、意根の覚醒作用と牽引力は非常に小さく、この状態で催眠をかけると、意根は催眠術師の誘導に従い、知っている全ての秘密を話してしまう。しかし意根自体が強力で警戒心があり意志が堅固であれば、催眠術師の誘導を受けず、心中の秘密を守ることができる。ある催眠事例では、催眠術師が人物のアカウントパスワードを知るため、半昏睡状態で意識の抵抗力と弁別力が極めて低下した状態を利用し、脳波計測装置を頭部に装着して脳波情報を即時取得し、脳波を文字情報に翻訳して内心の思考や秘密を読み取ろうとした。

しかしこの人物は意志力が強く警戒しており、重要でない質問には正直に答えるものの、パスワードに関する核心的な質問には初めはでたらめに答え、後には沈黙した。しかし内心の思考は依然存在したため、装置は脳波の変動を表示し、電流信号が点滅しながら脳波の文字情報を翻訳した。最も核心的なパスワードの質問に至ると、この人物は回答を拒否するだけでなく、思考を捨て去り脳の働きを停止させたため、脳波は空白状態となり文字も翻訳できず、結局催眠術師はあらゆる手段を用いてもアカウントパスワードを引き出せなかった。

この現象から何が観察できるか。催眠過程では意識が極めて微弱で僅かな了別作用しかなく、五識も微弱で意識と共に催眠術師の声の意味を意根に伝え、身体の痛覚を意根に伝える。当初意識はかすかな思考分析作用を保っていたが、昏睡が深まるにつれ次第に消失し、六識が伝える六塵の情報は不明瞭となり、思考分析の補助作用が失われる。この時点ではほぼ意根単独で催眠術師の指令に対処することになる。

意識が正常に作用する時、意根は意識の思考分析による意見や提案に従うが、意識の思考はほぼ意根を中心に展開するため、意根が従うのは結局自身の指令であり、自らの思想に順応する。催眠時には催眠術師の指令が意識の導きと提案に取って代わり、意根の意志が弱ければ催眠に陥り、心中の秘密を隠さず告白する。意根と六識は主従関係にあり、六識は六塵を観察・了別し情報を伝達し、意根の指令に従って身口意で意根の思想を表現する。六識が微弱な時、意根の思想は表出せず多くの機能が発揮されないが、意根は依然として六塵境を縁とし了別し、自らの主導思想を保持する。

六識が微弱あるいは消失後も我見は存在するか。この時の我見は六識存在時と同様か。寧ろ我見はより顕著になるのではないか。実際我見は意根が有するもので、意識は単に意根の我見に従いそれを表現しているに過ぎない。この事例で催眠された人物は六識が微弱あるいは消失したにも拘わらず、意根は強い我見と我執を示した。実に常に「我」を守護するのは意根である。我執は我見に由来し、我見なき所に我執なし。意根の我執が強いことは即ち意根の我見が強いことを示す。

言語は如何にして生じるか。脳波は如何にして発生するか。何故身体が虚弱だと発語できないか。何故身体が極度に虚弱化すると脳波が消失するか。何故意根が秘密漏洩を恐れ念を滅却させ脳波を消滅させるか。計測によれば、脳波発生後に言語音声が生じ、言語音声は意識の機能作用であるが、脳波は完全に意根の思考・念頭の表れであり、六識がなくとも意根は思考活動と脳波を有する。意根に思考が生じれば脳波は変動し、脳波は意識と無関係で、意根が自らの念頭を直接滅却すれば脳波は消失する。

身体が虚弱でなく気力があれば丹田に気が生じ、この気が舌根に上昇すれば言語が発生する。これは意識の活動が意根の制御と指揮を受け、意根を中心に展開することを示す。意根が発話や思想表現を望まなければ言語文字は生じず、意根が思考を望まなければ脳波は穏やかになる。これは意根が主君であり、六識が臣下であることを示す。賊を擒えるにはまず王を捉えよ。修行とは意根に働きかけ、意根を変化させることこそが王道である。

意根に念心所は存在するか。催眠状態で意根に心念あれば脳波が現れ、心念なき時は脳波なし。何らかの目的達成を欲するのは欲心所である。意根に欲心所はあるか。催眠状態で意根が秘密を守ろうと念頭を滅却させるのは欲心所である。塵境を明らかにし勝解するのは勝解心所。意根に勝解心所はあるか。催眠状態で意根が催眠術師の言葉の意味と目的を理解するのは勝解心所である。意根が堅固に秘密を守るのは定心所。秘密保護のため念頭を閉ざすのは意根の慧心所。一切の煩悩心所法も意根を主とし、意識の煩悩は意根を中心に巡るもので重要ではなく、生じ易く滅し易い。意根に煩悩がなければ意識も当然煩悩を持たない。王が許さぬことを臣下がどうして行えよう。

戦時中、共産党員が敵に捕らえられ肉体的・精神的拷問を受けても、意志堅固な者は死に至るまで組織を裏切らなかった。これは意識の強さか意根の強さか。信仰は意識か意根か。憎悪は意識か意根か。一切の法は意根に在り。意根が激しく人を憎悪していても、六識で外表を装い好意を装う。しかし智者はその本質が憎悪であることを見抜く。催眠状態では意根の主導的地位と心所法が明瞭に観察され、意根の機能作用が極めて重要であることが分かる。

——生如法師の開示
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