衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年02月24日    日曜日     第2 回の開示 合計1290回の開示

ブラックボックスの世界(九)

すべての人が六塵を了別した後、自分が了別したものが真実の六塵の境界であると思い、これらの六塵がすべて実在すると考えます。そこで六塵に対し貪りや嫌悪などの覚受が生じ、覚受が生じた後は思量を始め、思量の後に抉択を行い、決定心を生じて如何に造作すべきかを決断します。この一連の心所法がすべて生起し、さらに絶え間なく反復運行していくのです。境界を真実と見做すが故にこのようになるのです。五遍行心所が順次生起した後、それらの間の次第は変化し、また繰り返されます。これらの心所法の転換は極めて複雑で、接触した六塵に対する関心の有無、六塵が了別しやすいかどうか、六塵が重要かどうかなどによって異なります。

目に見える色塵や耳に聞こえる音声がすべて内相分の影像であり、ブラックボックス内に存在するだけでなく、私たちの身体が感じる一切のものもまた内相分の影です。身識が覚知するもの、さらには意識が覚知し得るものまで、すべて内相分の影であり、ブラックボックス内の六塵境界です。これらはすべて第八識が現出した影像であり、虚妄で実体のないものです。例えば身識が覚知するもの、ベッドに座った時にその柔らかさや硬さを知覚し、ソファに座った時にその柔らかさや硬さを感じ、身体の快適さを感じるといった触塵です。私たちはこれらを実在するものだと思っていますが、実際には真実ではなく、すべて影に対する分別を行っているに過ぎず、ブラックボックス内で行われる活動なのです。外相分は第八識のみが接触し得るものであり、ブラックボックス内には存在しません。

——生如法師の開示
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