問:ある時、私は車を運転しながら思索にふけっておりました。最初は雑念が乱れていたのですが、突然一点の雑念もない状態になり、周囲の環境が非常に陌生に感じられ、道が分からなくなりました。見るもの全てが新鮮に感じられ、空気も格別に清々しく感じられ、その後迷子になってしまいました。その道路は実際には非常に慣れた道だったのですが、なぜこのような感覚が生じたのでしょうか。
答:心が仏法を思索することに専念した後は、注意力が周囲の塵境(現象世界)に向かわなくなるためです。意識が専心して思索することにより、意根が仏法に対する更なる観照を得、内心に喜悦が生じると、全てのものを見て愉快に感じるようになります。これは純粋な禅定の三昧境地が現れたような状態です。心が物を転じ、境が心に随って転ずるというのは、修行過程において一時的に現れる果報であり、まだ最終的な結果ではありません。最終的な結果は非常に殊勝なものです。これらの修道の過程とその積み重ねがなければ、誰も自らが如何なる果報を得たなどと語るべきではありません。プラスチックの果実(偽りの成果)を誇る必要はないのです。
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