衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2025年04月22日    火曜日     第1 回の開示 合計4373回の開示

適切な観行の所縁の選び方(意根訓練篇)

私たちは普段、瞬間ごとに縁する法が多すぎるため、思考が散漫になり、精神が分散し、縁するどの法も明確に把握できず、智慧が生じず、身口意の行いが乱れて貪瞋痴の煩悩業を造ってしまいます。もし心を専一に集中させ、思考を深く透徹させれば、縁する法を見通すことができ、愚かな行いをせずに解脱することができます。

意根が外界への攀縁を減らし、注意力を一点に集中させて一時に一法のみを縁とする訓練を行うためには、自己の観行に適した所縁を探し求め、意根が興味を持ち契入できる目標を選ぶ必要があります。それによって雑念を排し、純粋に直観的に観じることができるようになります。集中力が高まれば、智慧も次第に向上していきます。

どのような所縁を選べば契入しやすいでしょうか?『楞厳経』では二十五聖が六根・六塵・六識において円通を悟り、地水火風空識の六大において円通を悟っています。あらゆる法が観行の対象となり、円通を悟ることができます。円通とは、円満に通達し、その法の空(小乗の空理と大乗の空性)を完全に契証することを意味します。六根・六塵・六識・六大のいずれにおいても円通可能であるなら、全ての法が道証入の契機となります。ただし精力に限界があるため、修行者は各自に適した一つの契機を選択し、専心して観行に励み、突破を図って入道すべきです。入道後は次第に万法通達の境地に至ります。

眼根を契機とする場合、対応する色塵を適切に選択する必要があります。適切な対象を選び、心で受け入れ、快適で愉悅を感じるなら、観行は容易になります。対象は簡明で、大きすぎず、形状や色彩が複雑でなく、過度の注意を引き起こさず、様々な考えや感情を喚起しないものを選びます。さもなければ妄想が乱れ、修行の本来の目的から外れ、平常の淡々とした観行に入れなくなります。

簡素な色塵としては、線香の先端、豆類、ボール類、筆類、自身の指先、つま先、髪の毛、服のボタンなどが適しています。特に慣れ親しんだ物は探索や分析を要さず、情緒の動揺を引き起こさず、心境を平淡に保ちやすく、専念しやすいです。

観行時は直観のみを用い、色塵に現れるままを観じます。見えない部分を推測してはなりません。これが現量観行であり、推測は非量観行で不実在の結果をもたらします。色塵を観ることは研究ではなく、大小・形状・色彩の分析(意識の働き)とは無関係です。三昧の証得はこれらの要素によるものではありません。「では何を観て何を証するのか」との問いは、工夫が道に適えば次第に自覚され、その妙は言葉では表せません。二十五聖の三昧境界を見ればその妙がわかります。

耳根を選ぶ場合、声塵は起伏が少なく、過度に耳障りでないものを選びます。単調で微かな音が適し、騒音は心神を乱します。小型時計の秒針音は携帯に便利で、慣れれば聞くだけで心が静まります。最も手軽なのは自身の鼓動・呼吸・指の軽い打撃音・歯の噛み合わせ音などです。木魚の音を録音しリピート再生するのも良いでしょう。

鼻根を選ぶ場合、香塵は淡い清香を選びます。香料・果実・花・青草などの香りが適しますが、濃厚過ぎると貪心を生じます。

舌根を選ぶ場合、口中の味塵を対象とします。唾液の観察、ナッツ類・棗の種などを口に含む方法があります。味は淡泊で、香り強すぎると貪欲を引き起こし妄念が生じます。

身根を選ぶ場合、触塵は身体と接触し携帯可能なものを選びます。額に軽く触れる・脈を押さえる・座禅時の腰の揺れ・ボール・小石・数珠・胡桃などを握る方法があります。大きな摩擦は避け、心神を分散させないようにします。

意根を選ぶ場合、法塵は簡素なものを選びます。数字を数える・小袋の豆を数える・念珠・呼吸・鼓動・胎息を数える・念仏念誦などが適します。意根からの修行は五根よりやや難易度が高くなります。

日常動作中でも観行可能な対象を選べば、仕事や会話中も継続できます。重要でない会話中は、相手の襟やボタンを観たり、自身の呼吸を数えたりできます。会議中も適当な塵を選び、観行を並行させることが可能です。

この直観法は子供の学習指導にも応用できます。集中力と定慧を養う方法であり、世間・出世間の定慧は相通じます。訓練により学力・理解力・独創力が自然に向上します。


——生如法師の開示
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