衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年02月27日    水曜日     第2開示 合計1298開示

意根と三昧の定境との関係

白骨観を最後まで観じ続けると、白骨観の三昧が成就し、目を開けても閉じても自他の色身がすべて白骨であると見えるようになる。これは定果色(じょうかしき)であり、他人には見えず、このような三昧の定境を修得した者だけが見ることができる。このような定境は、意識による長期の観想によって、意根(マナ識)が染め付けられ、意根が色身はすなわち白骨の様相であると認識するようになる結果である。すると如来蔵が白骨の相を顕現し、意識はいつでもどこでも白骨の相を見ることができるようになり、こうして観想が成就する。

したがって、あらゆる定境や三昧は、意識による観想が成功裏に意根を染め付け、意根を変容させた結果であり、つまり意根が成就して初めて三昧の定境が現れる。意識はさまざまな理論を容易に認めるが、意根は無明が深く習性が強いため、なかなか認めようとしない。これが修行の難しさを生んでいる。衆生それぞれの意根の無明の程度は異なり、習性も異なる。無明が薄ければ薄いほど修行は速く進み、禅定が生じやすく、三昧に入りやすく、法を証しやすくなる。白骨観が成就する時、身見(しんけん)が断たれ、身体を我であると認めなくなり、貪欲が降伏され、もはや身体に執着せず、一分の解脱を得る。

日想観(にっそうかん)も同様であり、さらにはあらゆる観行もすべて同様であり、あらゆる定境や大智慧もすべて同様である。

——生如法師の開示
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