衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年03月02日    土曜日     第3 回の開示 合計1303回の開示

留惑潤生とは何ですか?

惑を留めて生を潤すとは、思惑の煩悩を少し残し続け、未来世における受生を滋養することを意味します。もし煩悩を全て断じ尽くせば、意根が三界の法に全く執着しなくなり、命終すれば四果の阿羅漢のように五陰を滅し、無余涅槃に入ります。菩薩が明心を得てから八地菩薩に至るまで、常に思惑の煩悩を少し残す必要があります。この煩悩がある故に世々に受生し、五蘊身を得て仏法を修学し続け、自利利他を成し遂げるのです。もし菩薩が明心後に全ての思惑煩悩を断じ尽くせば、阿羅漢のように寿尽きて五陰を滅し無余涅槃に入り、菩薩道を継続できなくなります。七地菩薩に至ると、思惑煩悩が尽き禅定の境地が極まり、瞬時に滅尽定に入れるが故に、油断すれば涅槃に入りがちです。仏は菩薩を見守り、涅槃に入らず八地修行へ進めるよう護られます。清浄なる大願で繋がれなければ、地上の菩薩は容易に無余涅槃に入ってしまいます。これは禅定が深まるほど三界世間法への興味が薄れ、七地に至れば念念に涅槃を望むためです。故に仏は菩薩たちが初地に入る際、華厳経の十種無尽願を発するよう教えられます。この願いは成仏に至るまで尽きることなく、願力によって世々に受生し五蘊を生じ、無量の衆生を度し遂に仏果を成就するのです。

——生如法師の開示
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