衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2025年09月10日    水曜日     第1開示 合計4469開示

盗みの後、どう償うか?

物を盗もうとする心があれば、物品が元の場所から離れた時点で盗みは成立します。左手から右手へ移すだけで位置が変われば、それは元の場所から離れたことになります。所有者が物品を見つけられず、認識できず、疑いを持たない位置であれば、元の場所から離れたと見なされます。同じ物品でも位置が変われば、教養のある人は安易に所有権を主張したり、勝手に持ち去ったりしません。教養のない人は、物品がどこにあろうと、自分のものであろうとなかろうと、ひたすら持ち去り、他のことは一切気にせず、誰の所有物か、役に立つかどうかさえも顧みず、自分のもののように自由に使用します。

盗みという行為は、ほとんど誰もが避けられず、あまりにも軽率です。このような煩悩に従うと、自身の損失は甚大で、少なくとも千倍の償いを求められる上、貧困の果報を受けることになります。寺院の物品や徳のある人の所有物を盗んだ場合、千倍では済まず、一万倍でも少なく、十万倍、百万倍、千万倍、無量倍の償いが必要となる可能性もあります。物を盗もうとする時はよく考えて、大きな損をしないようにしなければなりません。また、公共団体や国の所有物は絶対に盗んではなりません。償うべき相手が多すぎて到底返しきれず、生々世世にわたって貧困に苦しむことになります。団体のために働く際に報酬や給与、褒賞が得られなくても、不満を抱く必要はありません。それは借りを返しているのかもしれません。

問:何年も前に、私は飲食店で楊枝一箱を盗みました。今新しい一箱を購入して弁償すれば、借りは返したことになるでしょうか?

答:元の価格・物品に加えて利子を上乗せすべきです。現在の物品価値は変化しており、同じ物品でも現在は価値が下がっているため、現在の一箱は昔の一箱に値しません。さらに相手の損失やこの件が与えた影響を考慮し、弁償費用はかなり多めに必要です。また、当時の物品は所有者にとって有用で価値があったかもしれませんが、現在の物品はたとえ十倍の量を追加しても、元の所有者にはもう役に立たず価値がなくなっている可能性があります。つまり十倍、百倍弁償しても無意味なのです。元の所有者が現在具体的に何を必要としているかを見極めてから、弁償方法を決定するしかありません。

場合によっては相手の精神的損害も考慮すべきです。物を失っても精神的にほとんど影響を受けない人もいれば、非常に大きな精神的打撃を受ける人もいます。極めて稀なケースでは精神疾患を発症したり、命を落とすことさえあり、精神は物質よりもはるかに大きな価値を持ちます。心理的耐性が弱く情緒不安定な人々には決して刺激を与えてはいけません。刺激した結果、様々な精神疾患が発生した場合、金銭では補いきれない事態となります。

物品を捨てる布施行によって得た福徳が、過去の盗みによる福の損失を相殺できるでしょうか?具体的な問題は具体的に分析する必要があり、二つの物品の価値と、自身の二つの心の持ちようによって決まります。物品の価値はさておき、心の持ちようについて言えば、どのような心構えで布施を行ったか、心の広さがどれほどかによって得られる福の大きさが決まります。過去にどのような心構えで盗みを働いたか、後悔の念があったかどうかなどが罪業の大きさと福の損失量を決定し、両者を比較し、さらに業の利息を加えれば、罪と福が相殺できるかどうかがわかります。


——生如法師の開示
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