道中で財物を紛失した場合、自身がその財物に執着せず、所有権を既に放棄しているならば、誰かが財物を拾って自己のものとすることは盗には該当しない。もし自身がその財物を強く気にかけ執着し、意根が所有権を捨てることを肯んぜず、探し続けている状況で、誰かが財物を拾いながら所有者に返還しない場合は窃盗となる。ある人が喜ぶ時こそ別の人が悲しむ時であるゆえ、菩薩は道中で物を拾うことを望まず、人が物を失うことを望まず、衆生が煩悩を生じることを望まない。それは丁度、医者が医療を施す一方で患者が増えることを望まず、薬品が多く売れることを望まないのと同じである。しかし実際に他人の失った物に遭遇した場合、それを拾い上げ、拾った後は所有者に返還する方法を考え、所有者を焦らせ悲しませないようにする。これもまた慈善と慈悲である。
もし他人が既に不要とした物品で、ごみ捨て場に廃棄されたものならば、誰でも自由に拾って使用でき、窃盗には該当しない。所有者の意根が既にその物品を放棄しているため、物品は無主物となり、自由に持ち去って使用できる。仏陀の時代の出家者たちは、死人捨て場で人々が廃棄したぼろ衣や死体を包んだ布を拾い集め、洗浊し、繕いを施した後に僧衣として着用していた。それらの出家者たちは心が空無我であり、色法をも空と見做していたため、拾った古着を嫌うことはなかった。
もし誰かが物品を人に贈与した後に後悔し、自身の所有物であることを理由に無理矢理取り戻す場合は窃盗に該当する。物品を贈与した時点で所有権は移転しており、あなたはその物の所有者ではないからである。無理に取り戻すことは強奪・窃盗となる。
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