衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2025年09月15日    月曜日     第1開示 合計4471開示

盗みの罪の業報は何によって決まるか?

問:学生時代や就職したばかりの頃、バスで財布と携帯電話を盗まれたことがあり、当時はとても悔しい思いをしましたが、今ではすっかり忘れています。もし意根が本当に気にしなくなったら、泥棒の罪業は消えてしまうのでしょうか?

答:泥棒の窃盗罪業は、あなたが許したからといって果報を免れるわけではありません。罪業を作った以上、必ず相応の果報があります。窃盗が招く果報は多倍の償いと貧困であり、将来同じく盗まれることになります。したがって、あなたの意根が気にしなくなっても、彼の罪業は依然として事実であり、将来如来蔵が彼に窃盗の果報をもたらします。あなたが追及しなくなったのはあなたの都合であり、おそらく将来彼はあなたに償う必要がなくなるでしょう。あなたは忘れかけていますが、泥棒の心は変わっておらず、彼の罪業の果報は彼の心次第です。もし彼が悔い改めて償えば、罪業は軽減されます。あなたが許しても、彼の如来蔵はこのことを覚えており、将来この出来事のありのままの姿と彼の心性に従って果報を実現します。

仏様はすべての人を許し、一切の人を気にかけませんが、すべての人の罪業は軽減されましたか?仏様の面前で直接地獄に堕ちることは、仏様が許すかどうかとは関係なく、業を作った者の意根が本当に悔い改められるかどうかに関わっています。悔い改めた後でも、業報は受けなければなりませんが、わずかに軽減されるだけです。阿羅漢を誹謗した者は、その場で阿羅漢の面前で心から悔い改めましたが、結局は地獄に堕ちました。原因は罪業が重すぎたためですが、悔い改めなければ地獄に堕ちる業はさらに重くなり、悪報を受ける期間も長くなります。

悔い改めは罪業を軽減することはできても、完全に消し去ることは非常に困難であり、悔い改めの力と切実な心、そして罪業の重さに依存します。もし完全に悪報を受けずに済ませたいなら、証果を得て三悪道の業を消し去るしかありません。証果を得てもなお報いは受けますが、悪報は人間界で受け、三悪道では受けません。証果を得ていない者はほとんどの場合、三悪道で報いを受けます。人間界で受ける悪報がいかに大きくても、三悪道で受ける報いよりは小さく、三悪道の悪報がいかに小さくても、人間界の悪報よりは大きいのです。したがって、どんな苦難があっても、やはり耐え忍んで人間界で苦しみを受け切り、苦しみを三悪道に持ち越すべきではありません。三悪道のあの苦しみは言葉では表現できません。


——生如法師の開示
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理不尽な訴えで訴訟を起こすこともまた盗みである

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