道中で嗅ぎ続ける香りの塵(こうじん)も同様で、経由する場所が異なれば、各所から発せられる香気も異なります。これは外なる香塵が常に変化し続け、鼻根(びこん)を通過して勝義根(しょうぎこん)に伝達され、内香塵(ないこうじん)を形成し、黒匣子(くろばこ)内の影像となることを示しています。我々の鼻識(びしき)と意識(いしき)が感知するのは内香塵であり、一つの香りから次の香りへと伝達され、経由地が変わるごとに伝来する香気も異なり、我々が嗅知する香り(こうじん)も変化します。しかし感知される香りは外界と全く同様であるため、我々は自らが外香塵を嗅いでいると錯覚し、これが真実であると認識するのです。飲食店から、花から、樹木から、ある人物の身体から伝わってくるように、あたかも全てが実在する物質的香気であるかのように思われますが、実際には全て黒匣子内の内香塵に過ぎません。
口腔で飲食する際、外なる味塵(みじん)が変化するにつれ、我々の舌識(ぜっしき)と意識が感じる内味塵(ないみじん)も絶えず変化します。それにより我々は実在の食物を食し、真実の甘酸っぱさ苦さ辛さを味わっていると錯覚し、一切が真実であるかのように感じます。実のところこれも黒匣子内の内味塵であり、全ては影に過ぎません。影を真実と感じるのは、外味塵と同一であるため、その虚構性を感知できないからです。
我々の身体に感知される触塵(そくじん)も、道中の微風のそよぎ、穏やかな陽光の照射、その他の触覚的刺激は常に変化を続けており、我々が感じるのも黒匣子内の内触塵(ないそくじん)であります。外触塵は絶え間なく変化し続け、陽の移り変わりと共に次第に温かさを増し、或いは涼しさを増していきます。此処は微風であれば彼処では風稍々強く、また別の場所では無風状態です。手が花に触れ、樹木に触れ、或いは何らかの物体に接触するにつれ、これらの外触塵は絶えず変化を続けているのです。
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