衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年03月05日    火曜日     第1 回の開示 合計1309回の開示

三昧定境はどのように生成されるのでしょうか

問:弟子が落日を観想する際、目が熱く感じ、かすかに黄色い光の感覚があるのですが、はっきりとした輪郭はなく、ぼんやりとした光の塊のように感じられます。これは何故でしょうか。

答:これは意根の錯覚でございます。意根が何を想うかによって如来蔵がそれに随順して現じ、我々はそれを受けるのでございます。我々の五蘊はまさに意根の妄想によって生じたものでございます。例えれば石を指して金と為す如く、眼前に元々金は存在しなくとも、意根が非常に強い禅定の中で強く黄金を想えば、如来蔵はやむなく黄金を現じます。我々に元々三千大千世界は存在しませんが、八地菩薩の境地に至り定慧が極めて強盛となった時、意根が三千大千世界を想うに及び、如来蔵はこれに随順して虚空中より三千大千世界を現じ出すのでございます。故に万法は唯心によって造られるというのは、一には如来蔵が直接我々のために現じ出すことを指しますが、如来蔵は何に基づいて現じ出すのでしょうか。まさに意根の想いに基づいて現じ出すのでございます。意根の想いを掌握すれば、意の如く願いを成就でき、意根が善きものを想えば善きものを現じ、意根が悪しきものを想えば悪しきものを現じます。例え意根に貪瞋痴があれば、如来蔵は六道輪廻の生死の苦を現じます。意識が想うことに効果はあるでしょうか。意識の想いが意根に影響を与え、意根をして同じく想わせるに至って初めて効果を生じます。意根を想わせしめなければ、意識の想いは作用を成さず、この理はかくの如くでございます。

では我々の病について申せば、もし身体に本当に癌があっても、我が意根が何事もなしと認め、心を放蕩虚空せしめれば、癌は消失いたします。心に無しと認めれば、如来蔵はその癌の四大を引き戻し、癌は存在しなくなります。一切の法は心の想いより生ずる、これがその理でございます。

落日を観想し、心に落日を想うことにより、将来三昧の定境を成就し、目を開けば閉じても落日が眼前にあり、真実の如く現前するのは、まさに意根の心の想いに如来蔵が随順して現じ出したものでございます。要は如何にして意識の想いを意根の想いに転化させるかでございます。意根の想いが一旦揺るぎなきものとなれば、落日の景観は即ち眼前に現前いたします。一切の三昧定境は皆この如く修成され、一つを修成すれば二つ三つ、さらには四つ五つと、際限なき三昧が悉く現前し、世界は即ち転変するのでございます。

——生如法師の開示
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