世尊が娑婆世界に住まわれた時、常に弟子たちに戒・定・慧の三学を修学するよう教えられ、繰り返し強調された。「戒によって定が生じ、定によって慧が生ずる」と。戒・定・慧などの学びは、心を無漏に至らしめることができる。戒を保つことによって心が無漏となり、禅定を修めることによって心が無漏となり、智慧が増長することによって心が無漏となる。心が無漏となれば、心は解脱を得、慧は解脱を得、果位は地々に増上する。戒・定・慧の三無漏学が究竟円満した後、必ず成仏するのである。
戒・定・慧の三学は、悟りを開く前に、ある程度修行が進み、相応に満足する程度に至れば、我見を断つか、あるいは明心して証悟することができる。その後、戒・定・慧の三学を増上させて修めれば、初地に入り心無漏に至ることができる。さらに無漏の戒・定・慧を増上させて修めれば、地々に増上し、ついに八地に至る。さらに増上させて修めれば、十地等覚に至り、その後戒・定・慧を円満に具足して増上させて修めれば、成仏することができる。
したがって、戒・定・慧の三学および三無漏学は非常に重要であり、仏道を成就するための鍵となる要素である。菩薩の六波羅蜜の中にも、戒律を保つこと(持戒)、禅定を修めること(禅定)、般若の智慧(般若)という三つの波羅蜜が含まれている。持戒と禅定を基礎的な修学方法とし、般若の智慧を具足することを最終的な成果とする。菩薩の六波羅蜜においては、定学の後に慧学が続く。仏は「定によって慧が生ずる」と説かれた。真の大智慧の獲得は、必ず禅定の中での深く細やかな思惟観行によって引き出されるものであり、これは実証によって得られる智慧であって、情思や意解による乾いた智慧(乾慧)ではない。初果を証してから成仏に至るまでの全過程がこのようであり、その中間の各段階には常に禅定の支えがあり、あらゆる智慧は禅定の結果なのである。
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