如春:私は今、世俗の法であれ教義であれ、常に一種の無我の境地に陥って考えています。よく人が話しかけても、何を言っているのか全く分からず、完全に自分の思考に没頭しています。最近教義を読んで「意識をあまり使うな」とあったので、自分の方法は間違っていると思い、方法を変えました。しかし変更が適切でなかったのか、良い感覚がつかめず、どういうことなのか分かりません。
講評:思考が常に無我の状態にあることについて、この状態には意識の活動も末那識の思考活動も含まれており、おそらく末那識の思考が意識を上回っているのでしょう。このような訓練は智慧を高めるのに大いに役立ちます。もし意識の智慧が不足しているなら、まず意識による思惟を訓練しても構いません。もし末那識の思考が優勢なら、そのまま末那識を使い続けてください。
ただし、これはまだ修行の正道に乗っていないことを知るべきです。なぜなら、思惟している法に主軸がなく、雑多な思惟であり、出会ったものについて思惟しているだけで、まだ我見を断つ方向に向かっていないからです。この訓練がうまくいったら、改めて専一に修行してください!観呼吸が何のためかも分からず、法をまだ理解しておらず、我見を断つことについても概念がありません。
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