衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年03月16日    土曜日     第2 回の開示 合計1341回の開示

無間作意とは何でしょうか?

「間」とは間隔・断絶を指し、「無間」とは連続して断絶せず、間隔も置かず途切れないことを意味します。「作意」とは法に注意を向け、心を法に向け、法に注視することを指します。作意は識心の五遍行心所法の一つであり、八つの識すべてに作意が存在し、それぞれが何らかの法に向かい、何らかの法に注視することが可能です。

第八識の作意は無間か有間か。一切の法は第八識によって生じ保持されることを知っています。第八識が一旦何らかの法への作意を止めれば、その法上で運行せず、その法上に種子を生じないため、その法は必ず消滅します。従って、何らかの法が存在する限り、第八識の作意は連続して運行しています。しかし一切の法の存在は、第一に第八識が成熟した業種に基づいて任運に生起し、第二に意根の作意と攀縁によって生じます。従って時として第八識の作意は意根の作意によって引き起こされ、意根が一旦作意を止めれば、第八識もまた特定の法を生じ保持せず、その法は必然的に消失します。即ち、特定の法が存在する場合、必ず意根の作意心所が運行しており、ある法が持続的に存在する限り、意根の作意心所法が絶え間なく運行し続けなければなりません。そうでなければその法は必ず消滅します。

従って第八識の作意は無間となり得、意根の作意も無間となり得ると言えます。意識の作意は無間となり得るでしょうか。意識は一日の内に何度も断絶し、自発的に滅することが分かっています。仮に意識が無間作意を行う場合でも一時的に継続するだけで、二十四時間途切れないことは不可能です。意識が一時的に無間作意を行う場合でも、完全に意根の無間作意によるものであり、意根が一旦作意を止めれば、第八識は意識の種子を出力せず、意識は必然的にその法上で消失します。

従って意根の無間作意がある場合にのみ、意識は一時的に無間作意を行うことが可能です。実際、ほとんどの場合、意識は作意を続けると疲労し、散乱して滅するため、長期間にわたる作意は行えません。五識の作意はなおさらです。意根の作意と第八識の作意がなければ、六識は一瞬の作意さえ存在せず、六識は第八識と意根に依存して初めて現行し運行します。独立して存在できず、主体性を持たないからです。

意根が一旦何らかの法に対して無間作意を形成すれば、それは既に意識による薫染が完成したことを意味し、自覚的に証知した道理に従って六識を指揮し実践します。心行は必ず変化し、身口意行も必然的に変化します。もはや意識による監督や注意を必要としません。意根が薫染されていない場合にのみ、意識による絶え間ない監督・注意・調整が必要となります。意根が自覚的でなく、法を証していないためです。

——生如法師の開示
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