衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年03月17日    日曜日     第1開示 合計1342開示

金剛経唯識深義(八)

原文:尔时。世尊食时。著衣持钵。入舍卫大城乞食。于其城中。次第乞已。还至本处。饭食讫。收衣钵。洗足已。敷座而坐。

解釈:次に続いて叙述される事柄は密義であり、しかも極めて大きな秘密です。すべての大乗修行者が知りたいと思うことであり、もし本当に知ってしまえば、それはもう密ではありません。次に来る事柄とはこうです――世尊は食の時に衣を著け鉢を持って舎衛大城に入り乞食し、その城中で次第に乞い終えて本処に還り、飯食を終えて衣鉢を収め、足を洗い終えて座を敷いて坐しました。これは一体何をしているのでしょうか。くどくどしくこれらを語るのは、本来世尊の日常の些事であり、毎日がこの通りで、これほど世俗的なものはありません。毎日このように托鉢して乞食し、食事をし、足を洗っているのに、なぜこれを経の中に書き入れ、しかも冒頭に書いたのでしょうか。他の経を説くときには描写せず、ただ金剛経を説くときにだけ描写したのです。しかも大般若を宣説する法会においてであり、金剛経は大般若経の精華です。世尊が法を説くとき、無意味な些事を語ることは決してなく、特殊な因縁でもない限り、微笑することさえ容易にはありません。

ここには極めて深い奥義があり、一つの真理を明らかにし、諸法の実相を示しています。極上根の利智の人は、ここまで読むだけで真理と実相を了悟することができ、金剛経および六百巻の大般若経の全宗旨が貫通してきます。その人は真実義の菩薩となるのです。華厳経には一切法は唯心の造と説かれていますが、それは唯如来蔵心の造です。世尊の日常の些事は万法の一部ではないでしょうか。そこに世尊の真如心の働きはないのでしょうか。答えは肯定です。万法はすべて真と妄の和合によって生じます。真心だけでは何も成就できません。妄心だけでも、妄心は成立しません。必ず真妄が和合して共に万法を変現しなければならないのです。だから、私たちのそれら無常で生滅する空幻の現象界の中に、必ず般若の真心が働いているのです。

たとえば私たちの日々の飲食や排泄、言談や笑い、行住坐臥などは、その同時に必ず真心如来蔵の参与がなければ、一法として成立しません。禅宗の一千七百則の公案はこの真理を指示しています。だから禅師たちは様々な手段を用い、眼色や動作、嬉笑や怒罵、拂子を挙げたり下ろしたりして、学人を悟入へと導いたのです。たとえば徳山の棒(打ち合うこと)や臨済の喝(大喝小喝すること)は、いずれも慈悲の挙動にほかなりません。もし私のところへ来たなら、私は足で蹴るでしょう。学人は一脚蹴られた後、縁が熟していれば金剛般若心を見出すことができるのです。雲門は師に扉で足を挟まれて潰され、一声叫んだ後に開悟しました。これらは列挙しきれません。悟った後は無生忍を証得したことになり、実相の智慧が開発され、我・人・衆生の虚妄を了知して、真実の出生がないことを知ります。如来蔵自身も生じないのです。この理を認めることが無生忍ですが、ただ忍ぶことが非常に難しいのです!

——生如法師の開示
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金剛経唯識深義(九)

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