我々が住む娑婆世界における仏教史上最初の禅宗公案は、世尊自らが示現されたものでございます。霊山会の折、天人より花の供養を受けた世尊は、人天の大衆の中にあってその花を手に取り、ただ微笑みをもって御自身の真如の心を明らかに示されました。しかし人天の大衆は誰ひとりとしてその意を悟る者なく、ただ大迦葉尊者のみが智慧眼をもって世尊の真如の心を観じ、同時に自らの如来蔵の心を明らかにし、破顔微笑いたのでございます。世尊は大迦葉が菩薩法を悟り阿羅漢菩薩となられたことを知り、「我に涅槃の妙心あり、実相は無相にして、文字を立てず、教外別伝す。摩訶迦葉に付嘱す」と宣べられ、迦葉は禅宗初祖となられたのでございます。
涅槃の妙心とは何でございましょうか。涅槃とは不生不滅を指し、妙心とは空性の心に一法もなく、無一物ながら万法を現じ出すことを意味します。塵ほども形なくして宇宙虚空を現出するは実に妙なるゆえ、妙心と称されるのでございます。実相とは金剛般若心が真実不滅の理体として存在することを指し、無相とはこの心に一切の相なきことを申します。色相なくして見えず、声相なくして聞こえず、香相なくして嗅げず、味相なくして嘗めず、触相なくして触れず、法相なくして分別できず、般若心経の説くごとく五蘊なく、六根・六塵・六識なく、四諦十二因縁(無明より老死に至る)なく、要するに一法もなきながら、万法ことごとくこれに依って生じ存在するのでございます。
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