如来は如何にして諸菩薩を善く護念するのか。一衆生が凡夫の十信位から修行を始め、十住位、十行位、十廻向位を経て、更に十地・等覚・妙覚という五十二の階位に至るまで、各段階において仏の加護と護念がなければ、業障に遮られて向上への修行ができなくなる。故に仏恩は広大無辺であり、成仏せずしては報いることができない。ではこれほど多くの衆生を仏は全て護念できるのか。勿論できる。なぜなら仏は一切種智とも呼ばれ、智慧と徳の能力が円満に具足しており、世間・出世間を問わず知らざる法はなく、十方世界のあらゆる衆生の心の念いを仏は知り、各衆生の無量劫にわたる事柄を仏は覚っておられ、更に十方世界で同時に降る雨滴の総数さえも仏は知っておられるからである。仏が衆生の心を知り得るが故に、衆生の修行を護持し、衆生が各難関を乗り越えて遂に成仏に至るまで助けることができるのである。
菩薩は十信位から修行を始め、三宝への信心を培う。仏の三十二相八十種好を理解し、菩薩道を劫にわたって修行する因縁を学び、仏の十種の名号の功徳内容を把握し、仏国土の形成範囲を知ることで、憧れの心を起こす。次に仏が説かれた三蔵十二部経の概略的内容を理解し、三帰五戒の内実を学び、更に僧宝について、凡夫僧・住持僧・勝義僧及び一体三宝・自性三宝とは何かを理解する。こうして迷信から仰信・崇信を経て正信に至る。すなわち十方世界に真実の仏法僧三宝が住持していることを信じ、十方の衆生は皆真如仏性を具え成仏できると信じ、自らも成仏できると確信し、成仏への信心を具足する時、十信位は円満に修められる。この過程に要する期間は、個人の善根福徳の深浅と精進度によって異なるが、これらの修行の全ては仏陀の加護なくしては成り立たない。
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