衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年03月21日    木曜日     第1 回の開示 合計1352回の開示

金剛経唯識深義(十九)

仏は菩薩摩訶薩がこのように自らの心を降伏すべきだと説かれました。しかし降伏されるべき心は必ず妄心であり、真心は元より想念を起こさず、知見も考えもなく、三界六塵に攀縁せず、身口意の行いを造らず、清浄で煩悩なきが故に、これを降伏する必要はありません。一方、妄心の眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・意根は常に六塵万法に攀縁し、心を動かし念を起こし、無量の知見・意見・見解を生じ、人我見・人我執・法我見・法我執が極めて熾盛で、身口意の行いは貪瞋痴と相応します。故にこれを降伏し、無明を断じ、智慧の徳用を生起させる必要があるのです。

七識の妄心を降伏せんとするならば、七識の機能作用を理解しなければなりません。眼識が色を見て青黄赤白・長短方円・大小を分別すると、意識心は同時に細相を分別し、善し悪し・美醜・趣き・気品などを判別します。この中で好き嫌いなどの苦楽・不苦不楽の感受が生じれば、身口意の行いが現れます。耳識が声を聞き、音の高低・遠近・方向を分別すると、意識は同時に種類・意味などを分別し、貪愛・嫌悪などの心行を生じ、苦楽・不苦不楽の感受が生じれば、やがて身口意の行いが現れます。鼻識が香りを嗅ぎ、香臭や方位を分別すると、意識は同時に香臭の種類・程度などを分別し、好き嫌いの心行を生じ、苦楽・不苦不楽の感受が生じれば、身口意の行いが現れるのです。

——生如法師の開示
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