もし真実をもって六道輪廻の虚妄不実なる性質を証得せず、五蘊無我を真に悟ることができず、ただ意識的理解や認識に留まるならば、それは砂に頭を埋めたダチョウの如く、背後に迫る敵を見なければ危険が去ると錯覚するようなものです。我々が思い込む認識と実証の隔たりは、実に甚だしく大きい。例えれば千万の負債を忘れ、無視しようとも、債権者が許すでしょうか。一方的な願望は決して当てになりません。故に意識が五蘊無我と認識しても、あたかも真実の如く思えても、実は内心に我執が残っており、ただ自らの智慧不足で気付けないだけなのです。意識的理解や認識は一方的な願望に過ぎず、自らを欺く行為で、実証に代わるものではなく、絶対確実なものではありません。よって再び意識を重んじる方々に諫言します。早く目を覚ましなさい。道業は泰山よりも重く、名誉は鴻毛よりも軽いのです。
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