我々は毎日、どのようにして東から西へ、南から北へと移動し、どのようにして色身を任意の場所へ切り替えているのか。これらは全て、意根の作意によって駆り立てられ、意根のあらゆる思考目的によって駆動されているのである。そして意根の思考もまた、意識の思考や打算の影響を受け、牽引されている。
そこで一部の人は言う、「明らかに私の意識が望むことをそのまま行っているのに、どうして意根が主導して決定していると言えるのか」と。表面上は、あたかも意識が望むことをそのまま実行しているように見えるが、実際には意識の考えは意根の同意と受容を経た後、改めて意根が主体となって選択を行い、その後初めて意識の思考と目的が顕現するのである。
例えば車の運転において、一瞬一瞬は意根がどのように運転するか、どこへ向かうかを決定している。その中で意根もまた刹那刹那に、意識の思考分析・打算・判断の指揮を受けている。意識が指揮した後、もしそれが意根の考えに合致しない場合、意根は意識の導きに従わない可能性がある。意根が意識の考えを合理的であると感じて初めて、意識の導きを受け入れるのである。
この過程において、意識の心の作用は比較的明瞭であるが、意根の心の作用はより隠微である。そのため智慧が不足している者は意根の心の作用を観察することができず、おおまかに意識の心の作用を観察するに留まる。したがって智慧が不足している時の認識・観点・見解は全て根拠とするに足りないので、自らの見解が絶対に正しいと考えてはならない。
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