もし人が現量の智慧を持たず、正教量に依ろうとするならば、それも容易なことではありません。お経には白紙に黒字で書かれているにもかかわらず、どれほどの人々が誤解し、どれほどの人々が誤って解釈しているでしょうか。たとえ一字一句違わずにお経を復唱したとしても、声に出して抑揚をつけるだけで、経文の意味が変わってしまうのです。現在の大蔵経には、現代人が再び整理校訂したものが多く含まれており、句読点さえも誤って付けられています。古文のお経は通常句読点がありませんでしたが、現代人が校訂する際に現代文の句読点に改めたため、経文の意味が歪み、本来の意図が分からなくなっています。要するに、愚痴は智慧の不足であり、智慧が不足していれば何事もよく成し遂げることはできません。
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