衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年03月23日    土曜日     第2開示 合計1361開示

心の奥深くに念仏して定を得る

念仏を行じて定を得ようとするなら、心の奥深くに入り込まなければならない。我々の意識心は時に猿のように落ち着きなく散乱し、あらゆる境界に到達しうる。意根はさらに至る所に攀縁し、止まることを拒む。意根と意識という二つの識心を繋ぎ止めるためには、ゆっくりと念仏を唱えることを学ぶ必要がある。念仏が遅ければ遅いほど、心の動きも遅くなり、ついには停止するに至る。心で念仏する際、同時に念仏する心の声を注意深く聞くことで、意識心は繋ぎ止められ、こうして意根も他の法塵に攀縁する術がなくなる。こうして心が一つの念仏の境界に専注すれば、一心を達成でき、定力は自然と高まるのである。

修行において意根まで修めることができれば、あらゆる問題は解決する。意根から修行に着手するのが最も速く、また最も直接的である。なぜなら、我々が定を修める原理からも理解できるように、定とは心の境界であり、妄心である七識の境界であって、主に第六識と第七識の心によるものである。心の様々な専注状態こそが動中の定であり、静中の定もこれに含まれる。心が覚知する法がますます少なくなり、軽くなり、ついには消失するに至る――これが静中の定であり、より深い定境に入ることができる。悟りを開く前は、このような無念の深い定を修めることに過度な精力を用いるべきではない。

——生如法師の開示
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金剛経唯識深義(二十五)

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どうすれば牢関を脱することができるのか。

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