念仏によって定を得ようとするならば、深く内心に至らねばなりません。我々の意識心は時に猿のように散乱し、あらゆる境界に至ることがあります。意根はさらに諸方に攀縁し、止息することを知りません。この意根と意識という二つの識心を繋ぎ止めるためには、ゆっくりと念仏を続けることを学ばねばなりません。念仏が遅ければ遅いほど、心の動きも遅くなり、ついに止滅するに至ります。心で念仏する時、同時に念仏の心声を聞くことに心を用いれば、意識心は繋がれ、こうして意根も他の法塵に攀縁する術を失います。このように心を一つの念仏境界に専注させれば、一心を達成し、定力は自然と向上します。
修行において意根にまで修めれば、一切の問題は解決されます。意根から修行を始めることが最も迅速で直接的な方法です。なぜなら、修定の原理からもわかるように、定とは心の境界であり、妄心である第七識の境界であって、第六・第七識心を主とするからです。心の様々な専注境界は動中の定を含み、静中の定もまた含まれます。心が覚知する法が次第に少なくなり、軽やかになり、ついには消失するに至る——これが静中の定であり、深い定境に入ることができます。悟道する以前には、この無念の深定を修めることに過剰な精力を用いるべきではありません。
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