衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年03月23日    土曜日     第3開示 合計1362開示

牢関をいかにして出づるか?

牢関とは、文字どおり監獄の関所のことです。監獄とは何でしょうか。三界が監獄であり、五陰の世界が監獄です。監獄から出る関所はどこにあるのかといえば、我見を断じ、我執を断じることにあります。さらに、如来蔵という「我」に対しても執着せず、心を空しく清浄 (viśuddha/pariśuddha) に保つことです。これは如来蔵を証得した基礎の上で初めて語れることであり、それゆえにこれを禅宗の第三関と言うのです。これができるなら、生死の監獄の関所から出生し、三界から解脱し、五陰の身の縛りから解脱することができます。小乗の立場から言えば、少なくとも三果阿那含の解脱の功徳があり、心は解脱しており、貪愛と瞋恚の煩悩を断除し、命終の際に我執を断じ、一念無明を断除すれば、無余涅槃 (Anupadhiśeṣa-nirvāṇa) を証得する能力を具えます。禅定については、初禅の定 (samādhi) があれば足り、あまり高い禅定は必要ありません。もちろん禅定は高いに越したことはありません。しかし、ある人たちが言うように、五陰の身をあたかも木のように修めてしまわなければならないとか、あるいは滅尽できなければならないというのではありません。これは何地かの菩薩、さらには八地菩薩になって初めて修えられることです。禅宗の第三関の前後にいる人は、十行位と十回向位の菩薩であり、八地菩薩からはまだ程遠いのです。

——生如法師の開示
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金剛経唯識深義(二十七)

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