声塵は外声塵と内声塵に分けられます。外声塵とは宇宙や山谷、河川など様々な物質から発せられるもので、共業の衆生の如来蔵が因縁と業縁に基づいて共同で変造したものです。衆生自身が発する声塵は、個々の衆生の如来蔵が変生したものであり、これもまた地水火風の四大種によって構成され、物質的であり、生滅を有し、虚妄であり、無常であり、空であり、苦であり、無我です。内声塵は、如来蔵が耳根を通じて外声塵に接触し、全く同じ影を変現し、耳の伝導神経を経て大脳皮質の勝義根に伝達され、根と塵が互いに触れ合うことで、如来蔵が耳識を生じ、音声を分別します。実際には、この音声は自身の如来蔵が変現したものであり、偽りのものであり、虚妄であり、生滅を有し、無常であり、苦であり、無我です。この原理は録音機に似ており、私たちが録音機で聞く音声は録音前の真の音声に似たものではありますが、実際には単なる映像に過ぎません。
香塵は外香塵と内香塵に分けられます。外香塵は地水火風の四大種によって構成され、共業の有情の如来蔵が業と縁に基づいて共同で変造したものです。衆生自身の身体の香塵は、自身の如来蔵が単独で変造したものです。内香塵は、如来蔵が鼻根を通じて外香塵に接触し、類似の影を変現し、鼻の神経を経て後頭部の皮質に伝達され、鼻の勝義根と接触します。これにより如来蔵が鼻識を生じて分別を行いますが、実際には単なる仮の像を分別しているに過ぎません。内外の香塵は共に生滅を有し、無常であり、空であり、苦であり、私のものではありません。衆生はこれを知らず、その中に執着心を生じます。
味塵は外味塵と内味塵に分けられます。外味塵は物質的であり、地水火風の四大種によって構成され、共業の有情の如来蔵が業と縁に基づいて共同で変造したものです。生滅変異し、無常であり、幻化されたものであり、苦であるため、無我です。内味塵は、如来蔵が舌根を通じて外味塵に接触し、類似の影を変現し、舌の伝導神経を経て大脳皮質に伝達され、舌の勝義根と接触します。これにより如来蔵が舌識を生じ、分別作用が生じますが、分別しているのは幻化された仮の相に過ぎません。内味塵は虚妄であり、無常であり、苦であり、無我です。
触塵は内外の触塵に分けられます。外触塵は地水火風の四大種によって構成され、共業の有情の如来蔵が業と縁に基づいて共同で変造したものです。生・住・異・滅を有し、無常であり、虚妄であり、苦であり、無我です。内触塵は、如来蔵が身体を通じて外触塵と接触し、類似の影を変現し、伝導神経を経て後頭部に伝達され、身体の勝義根と接触します。これにより如来蔵が身識を生じて了別を行いますが、内触塵は生滅を有し、幻化され、無常であり、苦であり、無我です。衆生は無知であり、分別しているものが全て真実であり、全て私に属するものだと思い込んでいます。
法塵も外法塵と内法塵に分けられます。外法塵は四大の極微によって構成され、五塵の上に現れる形色・表色・無表色などの法処所摂色であり、共業の有情の如来蔵が共同で変現したものです。外法塵はさらに五塵と共に勝義根の中に伝達され、如来蔵によって内法塵に変えられ、意根と接触します。その後、如来蔵が五俱意識を生じて内法塵を分別します。したがって、内外の法塵は共に虚妄であり、生滅を有し、無常であり、苦であり、無我です。
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