衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年03月24日    日曜日     第1開示 合計1365開示

金剛経唯識深義(二十八)

六識は識陰であり、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識は、すべて六根が内六塵に触れて如来蔵から生じたものである。もし意根が六塵に興味を持たなければ、如来蔵は六識を生じず、見ていながら見えず、聞いていながら聞こえないなどの無心の現象が現れる。無想定や滅尽定に入ると、意識心も現れず、衆生はまったく何も知ることができず、少しも分別しなくなる。

以上を総合すると、衆生の五陰十八界法はすべて生滅して幻の如く変化するものである。五陰身はまるで影絵芝居の人形や電動人形、アニメーションの登場人物のようであり、空に浮かぶ雲が猫や犬の形を成すように、テレビの中の人物のように非常に実体がなく、衆生は無知ゆえにこれに迷い執着し、妄りに身口意の業を造って六道輪廻から出ることができない。もし仏弟子がこの輪廻の苦海を超えたいと願うならば、常に以上に述べた通り五陰十八界の虚妄さを観行思惟すれば、小乗の果を証得し、さらには大乗仏法の道に悟入して真実の如来蔵を証得することができるのである。

——生如法師の開示
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衆生は意根の妄想により生死に沈淪する

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金剛経唯識深義 第三十

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