布施 (dāna) の因縁果報は如来蔵 (tathāgatagarbha) によって実現されます。布施の行為の全過程には如来蔵が摂持し記録しており、因縁が成熟したとき、如来蔵がこの業種を出力し、衆生は福徳の果報を受けます。一般に、この果報は後世に受けられるもので、異熟業と呼ばれますが、この業が大きいものであれば、現世の縁で熟すこともあり、その場合は現世で受報します。衆生が造った業の果報は決して消滅することはなく、善業・悪業・無記 (avyākṛta) 業のいずれも如来蔵が収蔵し出力し、決して錯乱することなく、漏失することもなく、甲が造った業が乙の頭上に記されて乙が受報するようなこともありません。一般に、善悪の業の受報が終われば業種は消滅し、造った悪業も懺罪によって消除することができます。証果または明心・開悟の後には三悪道の業を消除でき、後世には三悪道に堕ちなくなります。どの業が強ければ、先にその報を受けます。修行者は常に善業を悪業より大きくすべきであり、そうすれば悪業は当分受報せず、長い時間ののちには業種は枯渇します。たとえば五逆罪を造った衆生が下品下生で極楽世界に生まれると、十二大劫のあいだ蓮華の中にあり、業を造る機会がないため、業種はしだいに萎び、心が清浄 (viśuddha/pariśuddha) になってから蓮華の中から出てきます。
無畏布施には、衆生の生命を救済すること、衆生の困苦や危難を解決すること、心理的な障害を解除することなどが含まれ、健康長寿、平安快楽、諸事順利および富貴の果報を得ることができます。財布施の中に無畏布施があることもあり、無畏布施の中に財布施があることもあります。また法布施は福徳と智慧の両面の果報を得られ、無畏布施の果報もあります。講経説法して仏に代わって教化するのは直接の法布施であり、経書を印刷すること、僧宝を護持して弘法することなどは間接の法布施ですが、最善なのは修証を経て道眼を具え、大乗・小乗の智慧を開いていれば、根本仏法を誤って説くことがなく、衆生を誤導して修行の方向を誤らせることもなく、まして衆生の法身慧命を断つこともありません。そのうえで自ら講経説法して衆生を接引するのが最善です。衆生が法師の弘法を護持するにも、択法眼を具えなければなりません。択法眼は七覚支の一つであり、法の正誤を見分ける能力があります。さもなければ、根本仏法を宣伝あるいは助宣する際に誤った場合、その果報もまた重く、必ず慎重でなければなりません。
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