衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年03月26日    火曜日     第1開示 合計1368開示

金剛経唯識深義(三十三)

原文:何故か。もし菩薩が相に住することなく布施を行えば、その福徳は量り知れないほどである。

解説:相に住して布施を行うとは、心が相に拘束され、心の量が小さくなることであり、その福徳は限られたものとなる。心が六塵の相を超えられなければ解脱を得ることもできず、仏となることもできない。布施を行う心は妄心の七つの識であり、主に第六識と第七識による。布施を決定するのは意根である第七識(末那識とも呼ばれる)であり、それは「布施すべきか」「何を」「どれだけ」「誰に」布施するかを思量し、自ら決定する。布施前の分析・推論・判断・観察は意識が行い、その結果を意根に報告し、意根を説得する。意根は思量した後、時に従い、時に従わない。それゆえ我々は「こうすべきだ」「ああすべきでない」と感じつつも、実際には逆の行動を取り、自らもどうしようもないと感じるのである。色を見た際、意根は必ずしも意識の導きや勧めに従うわけではない。

仏法を学んだ後、肉を食べるのは良くないと感じ、菜食すべきだと分かっていても、肉を見ると食べたくなり、自分を制御できない。これが意根が常に自らの習気に従って行動する様であり、容易には変わらない。明らかに百元を布施すると約束しても、実際に金を出す段階で躊躇する。約束時は意識心が分析を経て「そうすべき」と判断したが、金を出す段階では意根が主導権を握る。意根は自我執着が強く、外へ施すことを好まない。長期間の薫陶と、意識による継続的な導き・説得を経て初めて変化する。ゆえに意根が変われば全てが変わり、我々の果報も異なるものとなる。菩薩が相に住することなく布施を行えば、福徳は量り知れず際限がない。如来蔵の福徳は語り尽くせないほど多く、宇宙虚空はこれに属し、三千大千世界はこれに属し、華厳世界はこれに属し、世界海はこれに属し、諸仏の三十二相八十種好はこれに属する。一法としてこれに属さないものはないが、それでも何一つ求めない。その福徳は言葉で表しようがないのである。

——生如法師の開示
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