心所法とは、識心が有する法の意味であり、識心が運行過程において心行が残した軌跡であり、八識の運行を補助するものである。八識全体の心所法は、世親菩薩によって最大五十一個にまとめられているが、まだまとめられていない比較的微細な心所法も存在する。例えば、驚き、恐怖、喜び、幸福などの情緒面の心所法がこれに当たり、これらの心所法は善悪に属さず、本質的に修証に影響を与えない。各識にはそれぞれの心所法があり、一概には言えない。また、各衆生の修行段階によっても異なる心所法があり、心に従って定まり、心に従って変化する。したがって、各識の心所法が具体的にいくつあるのかを固定的に言うことは難しく、各衆生の心所法が具体的にどれであるのかを言うことも難しい。いずれも具体的な状況に応じて分析・対処する必要があり、一概に論じることはできない。
全体的に見て、八識の心所法には、五つの遍行(触・作意・受・想・思)、五つの別境(欲・勝解・念・定・慧)、十一の善(信・慚・愧・無貪・無瞋・無痴・精進・軽安・不放逸・行捨・不害)、六つの根本煩悩(貪・瞋・痴・慢・疑・悪見)、十の小随煩悩(忿・恨・悩・覆・誑・諂・憍・害・嫉・悩)、二つの中随煩悩(無慚・無愧)、八つの大随煩悩(不信・懈怠・放逸・惛沈・掉挙・失念・不正知・散乱)、不定心所(悔・眠・尋・伺)がある。
この中で、十一の善心所法は随煩悩中の六つの煩悩と対立する関係にある。識心に善心所法があれば大随煩悩心所法はなく、大随煩悩心所法があれば十一の善心所法はない。一つの識心が同時に善悪の心所法を有することは不可能であり、善か悪かのどちらかであり、両立しない。例えば、識心に信心所法があれば、不信心所法はありえない。慚愧心所法があれば、無慚無愧心所法はありえない。無貪心所法があれば、貪心所法はありえない。無瞋心所法があれば、瞋心所法はありえない。無痴心所法があれば、痴心所法はありえない。精進心所法があれば、懈怠心所法はありえない。軽安心所法があれば、昏沈心所法はありえない。不放逸心所法があれば、放逸心所法はありえない。行捨心所法があれば、忿恨悩心所法はありえない。不害心所法があれば、害心所法はありえない。
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