衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年04月05日    金曜日     第5 回の開示 合計1395回の開示

物質には本当に重さがあるのでしょうか?

自らの体重よりはるかに重い物体に対し、非常非常非常なる危急の際に物体の重さを忘れたり、あるいは重さを考慮する暇もなく、ただ物体の下の人を救おうとする時、その人は瞬時にその物体を押しのけることができます。人を救出した後、自分が押したものが実はそれほど重いものだと知り、驚いた時、再びその物体を押そうとしても、もう微動だにできなくなります。何故このようなことが起こるのでしょうか。

切迫した状況では、意識に思惟力がなくなると、意根にこの物体が非常に重いことを伝えません。意根は物体の重さを考慮せず、ただ物体を押しのけて人を救うという決意をするだけで、結果として意根は目的を達成します。その後、意識がその物体を見て驚き、重さを知り、意根に伝えると、意根は自らの力では到底そのような重い物体を押しのけられないと悟ります。すると如来蔵はもはや意根を助けなくなります。

万法は唯、心によって造られる。即ち唯如来蔵によって造られ、また唯意根によって造られ、唯意識によっても造られます。意識と意根が何かを造ろうと念じるだけで、如来蔵は原材料を提供し、産物を生み出します。前提条件は業力に適うことです。禅定がなければ、意識が乱れ放題になり、でたらめな指示を出すと、意根はそれを聞くや障害を受けます。禅定中は意識の力が弱まり、意根が自らの思うままに行動できるため、成功します。ただ意識だけを捉えようとする者がいかに愚かであることか!意識を巡って右往左往する者は、主人たるものを捉え、幹を捉え、重点を捉え、根本を捉えることを知らず、その智慧は実に浅はかです。催眠時に意識を制御し、でたらめな指揮をさせなければ、意根を利用して多くの秘密を発掘でき、意根を変えるのは容易です。過去に戻り、未来へ行くことも何ら問題ありません。

どれほど重い物質も、たとえ須弥山ほど大きく重くとも、それは四大種子から成る物質です。四大種子に重さはなく、それによって構成される物質色法も本来重さを持つはずがありません。衆生は無明に覆われ、この理を知らず、業力の故に物質色法の重さを感じるのです。深甚なる禅定を得た者は無明を降伏させ、心力を開き、物質及びその重さに拘られることなく、自由に物質を処理できます。高く掲げ、粉砕し、組み合わせ、貫通するなど、また意のままに物質を顕現し、四大を操り、物質色法を自在に扱うことができるのです。

——生如法師の開示
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