衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年04月10日    水曜日     第3開示 合計1407開示

参禅時の尋伺の功夫

参禅の時、最初は意識の尋であり、禅定が深まると、意識は伺に転じ、意根が尋を始めます。禅定がさらに深まると、疑情が濃くなり、意根は伺に転じます。意根の疑が深く、伺察に転じた時は、証悟から遠くはなく、いつどこでも証悟する可能性があります。だから証悟はやはり意根が先に証し、意識が後に証するか、あるいは意識と同時に証するのです。

一方、解悟は完全に意識の尋伺の活動であり、意根はまだ参画し始めていません。解悟が深い場合は、意根の参画が少なく、伺はなく、せいぜい尋がある程度です。

尋伺から連想されるのは、意識が一念不生の時、意根は決して一念不生ではなく、意根は依然として思量 (manasikāra/manana) しているということです。神様が何を思量していようと、それはすべて尋伺であり、思量しないということを思量しているそのものさえ、意根が尋伺しているのです。

——生如法師の開示
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自証分 (svasaṃvitti) と証自証分 (svasaṃvedana) について

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