衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年04月11日    木曜日     第1開示 合計1409開示

金剛経唯識深義(七十九)

原文:所以者何。我相即是非相。人相众生相寿者相即是非相。何以故。离一切诸相。则名诸佛。何以故。离一切诸相。则名诸佛。佛告须菩提。如是如是。若复有人。得闻是经。不惊不怖不畏。当知是人甚为希有。

解釈:須菩提は言いました。世尊、なぜ実相般若の心を証得した後には、内心に四相がなく、四相を離れることができるのでしょうか。それは、我相とは真実の相ではなく、表面上はあるように見えても、実は真実ではないからです。実相を証得した人は、真心如来蔵の働きを観察し、如来蔵がどのように五陰の我を出生しているのかを観察します。彼は次第に、自分の五陰がすべて如来蔵によって刹那刹那に幻化されたものであることを観察していきます。

五陰の一切の活動は、すべて如来蔵の功能作用であり、五陰自身は真実には何も為したことがありません。五陰の法は虚幻不実であり、その実質はすべて如来蔵です。たとえば魔術師が幻化によって一つの五陰の身を作り出すと、この五陰の身には一定の功能利用がありますが、この五陰の身には真実性はなく、その功能利用も真実に存在するものではなく、すべて魔術師の為すところです。また、たとえば木偶人(からくり人形)が舞台に上がって芝居をしても、この木偶人が戯台上でどのように演じようとも、それはそれ自身の為すことではありません。

ですから、木偶人の一切の活動は幻化されたものであり、そのような事実はなく、その実質はすべて舞台裏の操縦者の為すところです。私の五陰の活動もまた同様であり、それゆえ五陰の我相は非相であり、真実の相ではありません。同理により、我に類する人同分の人相もまた同様で、真実の人同分の五陰相はありません。人類が世間でどのように生活し活動し、種々の事業を為そうとも、真実の五陰の活動はなく、その実質はすべて如来蔵性です。それゆえ、人相とはすなわち非相なのです。

さらに同理により、人相に類する衆生相もまた虚妄不真実であり、表面を見ればあるように見えて、実質は無く、その実質はすべて衆生の如来蔵性です。衆生の五陰の活動は、まるでロボットが作業をしているようであり、ロボット自体は自在なものではなく、自主性がなく、人為的な組み立てと操縦を必要とします。それならば、ロボットは真実に何かの仕事を為すことはできず、すべて設計・製造・操縦者の為すところであり、ロボットはただ偽の相を現して、人の目を欺いているにすぎません。

それゆえ、雇い主は絶対にロボットに給料を払うことはなく、ロボットを褒めたり罰したりすることもありません。雇い主ははっきりと知っているからです。ロボットは人ではなく、人の智慧と能力を持たず、ただ人に利用される道具にすぎず、仕事はそれが為したのではないと。衆生の五陰もまさにこのようであり、一切の事業は五陰が為したのではなく、五陰はただ一つの道具にすぎません。それゆえ、衆生相とはすなわち非相であり、真実ではなく、実有でもないのです。

——生如法師の開示
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意根は重大かつ変動する法塵のみを縁とするのか?

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