凡夫の意根には、ほぼすべての煩悩心所法が具わっている。これらの煩悩心所法によって、衆生は生々世々にわたり六道を輪廻し、苦報は尽きることがない。ただし、それぞれの衆生において煩悩心所法がすべて具わっているかどうか、すべて現行に現れるかどうか、煩悩の軽重程度は異なる。もちろん凡夫の意根にも善心所法は存在する。そうでなければ凡夫は天界に昇って福を享受することはできず、六道輪廻には天道が存在せず、人道にも善報がなく、阿修羅道にも善報はない。人道に生まれても善人となることはできず、善行を行わなければ将来善果を得ることはない。しかし実際には、三悪道の衆生でさえ善心を有している。そうでなければ将来、人や天人に生まれ変わることはできない。ただ衆生の善心は一時的に現れないか、あるいは現れる頻度が少ないだけである。
四禅八定を有する凡夫は、第七識の心所法が定心所と相応し、四禅八定に入ることができ、欲界天・色界天・無色界天に生まれることができる。随煩悩は減少し、懈怠・放逸・失念・散乱・昏沈・掉挙などの心所法は存在しない。五別境心所法である定心所法は強化される。禅定を有しない者の意根には定心所法は存在しない。したがって凡夫の第七識心所法は一定ではなく、各人の心所法は必ずしも同一ではない。
しかし禅定を修得した者や聖果を証得した者においては、意根と意識の心所法に共通する特徴として、煩悩心所法は軽減・減少し、善心所法は増加・強化される。三賢位で牢関を通過する前の菩薩および初果・二果の者の第七識心所法においては、我見心所法が消除され、大随煩悩がいくつか減少し、不信心所法が消除され、信心所法が増加強化される。不正知心所法が消除され、昏沈心所法は元より存在せず、懈怠・放逸・掉挙・失念・散乱が軽減または消除され、大随煩悩が軽減され、中随煩悩は軽減または消除される可能性がある。同時に善十一心所法がすべて増加・強化される。五別境心所法の中では勝解・定・慧の心所法が強化される。これらは人によって異なり、各人完全に同じではない。
牢関を通過した後の菩薩および地後の菩薩は、第七識が識を転じて智とする初階にあるため、心所法は五遍行と五別境、善十一を有するが、完全には具わっておらず最強でもない。仏地に至って初めて完全に具わり最強となる。根本煩悩心所法はすべて滅除され、大随煩悩はすべて消除され、中随煩悩は軽減または消除され、小随煩悩は四地から七地の菩薩の段階で次第に滅尽される。三果人と四果人の第七識心所法にも変化が生じる。四果人は煩悩心所法をすべて滅除し、三果人はなおいくつかの煩悩心所法を有するが、善心所法は増加し、五別境心所法も強化される。ただし完全には具わっておらず、おおむね牢関通過後の菩薩の心所法に相当する。しかし彼らは小随煩悩を断除できず、習気は依然として存在する。仏の第七識心所法は完全に五遍行・五別境・善十一を具え、その他の心所法は存在しない。
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