衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年04月12日    金曜日     第1 回の開示 合計1418回の開示

金剛経唯識深義(八十一)

原文:何故ならば、須菩提よ。如来の説く第一波羅蜜は、即ち第一波羅蜜に非ず、是を第一波羅蜜と名づく。須菩提よ、忍辱波羅蜜は、如来の説くところ、忍辱波羅蜜に非ず、是を忍辱波羅蜜と名づく。

釈:世尊は説かれた「何故四相を離れた者が第一の稀有なる存在であると言われるのか。須菩提よ、如来の説く第一波羅蜜には真実の相がなく、仮に名付けて第一波羅蜜と呼ぶ。菩薩が六波羅蜜を修行すれば、心を明らかにし本性を見て涅槃の彼岸に至る。しかしこの六波羅蜜も実相にあらず、如来蔵の幻化せる生滅の仮相に依る。五蘊の幻身によって初めて六波羅蜜を修行し得る。五陰身が実在せぬ故、それに依る六波羅蜜は更に仮相なり。故に仏は説きたまう『第一波羅蜜は即ち第一波羅蜜に非ず、ただ名を第一波羅蜜と為す』と」

世尊は続けて説かれた「須菩提よ、忍辱波羅蜜は如来の説くところ実在する忍辱波羅蜜にあらず、故に忍辱波羅蜜も非相なり。仮に忍辱波羅蜜と名付く。所謂る忍辱波羅蜜は無数の仮相に過ぎず、実相そのものにあらず。これらの仮相は第七識の心行の相にして、如来蔵より生じ現れたもの。表面は有れど実質は無く、如来蔵と不即不離の関係に在り」

「忍辱波羅蜜の修行は生滅変異する法なり。一つの忍辱行は生じては滅び、また次の忍辱行が生ず。無数の忍辱行が菩薩の忍辱波羅蜜を成し、生死の彼岸に至らしむ」

「忍辱行は五陰身と七識の行なり。五陰自体既に非相、七識は刹那に生滅変異し、第六識は日々断滅す。皆虚妄実在せず、まして五陰七識に依る忍辱行は更に非相なり。故に忍辱波羅蜜に自性なく、ただ仮相と名あるのみ。名によって称えられる虚妄の行い、その本質は即ち如来蔵なり」

——生如法師の開示
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