衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年04月12日    金曜日     第2開示 合計1419開示

衆生の第六識心所法はそれぞれ異なります

第六識の心所は、一方では意根の心所の影響を受け、他方では環境の影響を受けて変化する。生まれたばかりの時、意識の心所は完全に意根の影響下にあり、意根の指揮を受け、一切の自主性を持たない。成長するにつれ、次第に周囲の環境、例えば両親、親族、遊び仲間、学校教育、テレビ、インターネットなどの影響をますます受けるようになる。このようにして、生まれつき善良な子供が次第に悪い習気を身につける可能性もあれば、生まれつき良くない習気を持った子供が次第に素直になることもある。これは環境の影響による作用である。もし子供が生まれつき善悪の習気を強く持っている場合、環境の影響を受けにくく、良い子は良い子のままで悪くならず、悪い子は悪い子のままで良くならない。この場合、意根の作用力は非常に大きいと言える。さらに一方で、意識の心所は意根に影響を与え、染習することができ、意根が染習されると業種が変化し、業力が転換され、果報に変化が現れる。

凡夫の意識は五十一個の心所と相応するが、全ての人の第六識が完全に五十一個を具足しているわけではない。ある心所は現行せず、ある心所は因縁が具足すると現行する。煩悩心所が多く現行する人もいれば、善心所が少なく現行する人もいる。煩悩心所が完全に具足して現行する人は、その煩悩が極めて重く、人間性の品質は非常に劣悪である。

衆生の第六識の心所は最大で五十一個であり、五十一個より少なくなり得る。二十一個まで減少した時、それは八地以上の菩薩である。完全に二十一個の心所を具足した時、徹底的に識を転じて智と成り、仏となる。したがって、衆生の心所はそれぞれ異なり、重点も異なる。特に四禅八定を有する外道凡夫の第六識の心所は明らかに五十一個より少ない。牢関を突破する前の三賢位の菩薩と初果・二果の人の心所は必ず減少する。主として根本煩悩心所の我見がなくなり、大随煩悩も減少・軽減される。四果の人の心所では、根本煩悩心所が全て滅除され、大随煩悩と中随煩悩も滅除されるが、小随煩悩は依然として存在し、ただ軽減されているに過ぎない。三果の人は根本煩悩として慢と痴がまだ滅除されていないが、明らかに大幅に軽減され、大随煩悩と中随煩悩は滅除され、小随煩悩は依然として存在し、習気は四果の人より重い。

牢関を突破した後の菩薩と地後の菩薩の心所は、小乗の三果・四果の人とほぼ同じである。ただし地後の菩薩の小随煩悩は初地から次第に軽減・減少し、八地菩薩に入る前に全て滅除される。もし意根に煩悩と習気がなければ、意識はさらに存在しない。八地以降の菩薩の第六識の心所は初歩的に二十一の心所と相応し、五遍行、五別境、善十一を有するが、完全には具足しておらず、仏地に至って初めて完全に具足する。

——生如法師の開示
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