衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年04月15日    月曜日     第4 回の開示 合計1432回の開示

意根の恒審思量

「意根」が恒常的に審査し思量するという「審」の字は、意根の心理活動を明らかにすると同時に、意根の果たす役割をも明示しています。これは意根が無用の存在や飾り物ではなく、極めて重要な決定作用を持つ生きた識心であることを示しています。

意根はあらゆる法に接触する際に必ず審査を行います。六識が弁別した法に対しても、意根は必ず再審査します。審査を経た後は決定を下し、処理を施します。では禅参究において意根はどのような役割を果たすのでしょうか?我見を断つ際には?明心見性の時には?一切法を証得する際には?いずれも決定的な作用を及ぼすのです。

一切の法は意根による検閲を経なければなりません。意根の審査に合格しなければ処理は実行されません。意根が審査する際には独自の識心活動が生じ、自ら考量を重ねます。六識の言うことを盲従するのではなく、六識が弁別したことを即座に承認するわけではありません。従って六識の一切の認識は、必ず意根に明瞭に理解させなければなりません。意根が理解しなければ審査は不合格となり、関門を突破できず、意根は決定を下せません。我見を断つこと及び明心見性も、意根の審査検閲を経なければ実現しません。意根が同意しなければ、我見を断つことも明心見性も叶いません。意識が一方的に我見を断ち明心したとしても、それは意識自身の理解に過ぎず、主人である指導者が同意しなければ無効です。指導者の許可を得ずに意識が独断で我見を断ち明心したなどとは、言語道断です。

如何にして意根自ら結論と答えを導き出すか?意識の分析思考を控え、意根自らに思量考量させる時間を多く与えることが最も効果的です。意識が一旦答えを知ってしまうと、もはや参究する意欲を失い、意根は参究する機会を奪われ、永遠に悟りを証得できません。故に明心の答えを安易に尋ね聞き、軽々しく口外すれば、意識が知ってしまい意根が用功する余地を失い、証悟は不可能となります。我見を断つ内容についても、師に細かく解説を求めず、意識が全てを知ってしまえば、意根が再考する余地がなくなり、我見を断つことが極めて困難となります。

——生如法師の開示
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