心所法の変化は修行の成果を計量する一つの基準とすることができます。例えば、瞋心が減り、貪心が減り、癡心が減り、貪・瞋・癡およびその他の煩悩の心所法も相応に軽減され、心が貪・瞋・癡などの煩悩と次第に相応しなくなり、かつその状態が比較的長く持続するようであれば、修行に成就があったと言えます。煩悩の変化には相応する心所法の変化が対応し、智慧の転換にも相応する心所法の変化が対応します。目に見え触れられる計量基準を用いて修行の進捗を測ることで、多くの修行者にとって有益であり、これらの基準に照らして自己を検証し、自らを計量することで修行への信心を増すことができます。進歩の一つ一つに計量基準が存在します。
心所法の変化は確かに個人の修行の結果であり、修行の程度を測る基準となりますが、具体的に煩悩がどの程度減少したか、また善の心所法がどの程度増加強化されたかという問題については、把握が容易ではありません。これ同樣に身心の転換に関わるものであり、身心の転換は重大で明瞭な指標です。各果位の取得と証得には相応する程度の身心の転換が必要であり、これが指標となります。また特殊な境界の暗示、例えば夢境の示現は、その者が大小乗の果位を証得した程度、煩悩の除去程度、心の清浄さの程度を示します。修行者が果位を昇進し修行の次元を高める毎に、境界上の顕現と暗示が生じます。一つは身心に受ける震動と変化、もう一つは吉祥の夢境の暗示であり、これらは内心の清浄さの程度、煩悩を降伏させた程度、智慧の境界の深浅、未来の発展状況を示します。
なぜ実証には身心の転換が必要であり、身心の転換が重大で明瞭な指標となるのでしょうか。それは身心世界が無始劫以来より無始劫の未来に至るまで、意根によって制御・調整されてきたためです。意根の認知転換、知見転換、智慧転換は相応して身心世界を転換させます。身心の反応は意根の晴雨計であり、意根の情緒の発散や思想の表れなどは全て身心を通じて現れます。もし意根の思想が何らかの触発や震動を受ければ、必ず同時に身心世界を牽引し影響を与え、身心の連鎖反応を引き起こします。
特殊な意義を持つ夢境は重要な意味を持ち、提示と警醒の作用があり、自らが自己の修持の程度と進展を判断する根拠となります。夢境の中には仏菩薩の暗示と示現も含まれます。修行成就の指標は、一つは煩悩の変化、もう一つは智慧の転換であり、これら二つが最も主要なもので、共に心所法の転換です。心所法が真に変化するのは第三果・第四果の聖者および初地以上の菩薩においてであり、それ以前では煩悩はただ降伏されるだけで、心所法に明瞭な変化を見ることはできません。従って第三果以前においては、基準を正確に計量することは不可能です。
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