原文:大王よ。はるか過去、無量倶胝那由他劫の昔に、転輪王がおられ、名を無辺称といった。富貴自在であり、大いなる威徳を持ち、象・馬・車乗と宝玉で飾られた輿、最勝の輪宝(金輪)は、いかなるものも壊すことができなかった。すでに無量の諸仏に親しく仕え、それらの仏のもとで多くの善根を植えた。心に思うまま、望むことはすべて成就した。
釈:仏は説かれた。大王よ、過去の無量無辺の劫数の昔に、無辺称という名の転輪聖王がおられた。この王は非常に富貴自在であり、大いなる威徳力を備え、象・馬・車乗および衆宝で飾られた輿を持ち、七宝は具足し、さらに最勝で誰も壊すことのできない輪宝も有していた。この無辺称王は過去にすでに無量の諸仏に親しく仕え供養し、これほど多くの諸仏のもとで極めて多くの善根を植えた。そのため、善根と福徳が感応して、彼の心に思いのままに念じることはすべて成就し、あらゆる考えは実現したのである。
世尊がこの故事を語られた目的は、浄飯王に富貴や享楽に貪着せず、心に足ることを知るように教え戒めるためであった。故事の中では、世間に貪着して満足することがないとどのような果報があるか、人心に満足がなければどのような果報があるかを述べており、この故事は確かに人心に満足する時がないこと、貪りの心を断ち切れない者は、五欲六塵に対して善く止足を知ることが容易ではないことを証明している。たとえ無量の諸仏のもとで多くの善根を植えた無辺称王ですらそうであったのである。
インドの言葉で「倶胝那由他劫」とは、はるか遠い昔の非常に長い時間を指す。地球が形成・存続・壊滅・空無となる一巡が一大劫であり、それは80掛ける1680万年の年月に相当する。無量の大劫というそれほど長い時間の昔に、無辺称という名の転輪王がおられた。転輪王は四種に分かれる:金輪王、銀輪王、銅輪王、鉄輪王である。最も位の低い鉄輪王は一大洲のみを統治し、例えば地球の南贍部洲だけ、あるいは東勝神洲だけを専ら司る。銅輪王は二洲を統治し、銀輪王は三洲を統治し、金輪王は四洲を統治する。須弥山のふもとを取り囲む四方には総計四大洲がある。すべての小世界における須弥山の周囲にはこの四大洲が存在し、我々の娑婆世界には総計十億の須弥山がある。すなわち、釈迦仏の娑婆世界たる一つの三千大千世界には、十億の地球、十億の南贍部洲、十億の東勝神洲、十億の西牛賀洲、十億の北倶盧洲が存在するため、十億の金輪王が存在することになる。銅輪王や鉄輪王は十億を超える数となる。これらの転輪聖王が得た福報はすべて、無量千万億の仏を供養したことによって得られたものであり、これは世俗法における世間の福報である。
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