衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2019年04月17日    水曜日     第6開示 合計1439開示

金剛経唯識深義(九十六)

究竟無我分第十七

この分において世尊は究竟無我を説き、須菩提に菩薩が広大甚深の菩提心を発し、無量の衆生を広く度した後は、我執と衆生執を滅し、我相も衆生相もなく、心に次第に無我究竟無我を具えるべきことを示された。実際の理の上でも確かに無我であり、人我であれ法我であれ悉く滅尽すべきゆえである。このようにして初めて甚深の菩提心に相応し、自我を降伏して心が清浄となり、諸仏が授記を与えて成仏するのである。たとえ成仏しても、心中は無我で空しく、成仏という法相もなく、衆生を度すという法相もなく、いかなる法相も存在しない。

原文:爾の時、須菩提、仏に白して言く。世尊。善男子。善女人。阿耨多羅三藐三菩提心を発し、云何に応じて住すべきか。云何が心を降伏すべきか。

釈:この時、須菩提は世尊に申し上げた:世尊よ、善男子・善女人が阿耨多羅三藐三菩提心を発した後、いかにして心を住まわせるべきでしょうか。いかにして自らの心を把持し、いかにして自らの心を降伏すべきでしょうか。

これは須菩提が衆生に代わって世尊に問うたもので、菩薩たちが大乗菩提心を発した後、いかにしてこの心を住持し把捉すべきかという問いである。ここでいう心とはどの心か。菩提心を発し得る六七識の心を指し、真に菩提心を発さない真実心である如来蔵を指すのではない。如来蔵は何の心も発せず、心行なく、願いなく、成仏を望まず、その心行は無所住である。須菩提の智慧をもってすれば、世尊に如来蔵はいかに住持すべきかと問うことはなく、ましてや世尊は金剛般若心の無所住なる体性を既に説かれている。須菩提が問うたのは、菩提心を発し得る妄心が、清浄なる大願を発した以上、従前のように世俗法の色声香味触法に住み、五陰に住み、これらの世俗法のために発心すべきかどうか、という点である。大乗菩提心を発した後は、従前のように一切の世俗法相に執着すべきではなく、貪瞋痴の煩悩が激しく燃え盛るべきではなく、この心を降伏すべきであるが、いかにして降伏すべきか、ということであった。

——生如法師の開示
前へ前へ

禅定の境地

次へ 次へ

意根を変えてこそ、一切法を変えることができる

ページトップへ戻る