衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2019年04月18日    木曜日     第2 回の開示 合計1441回の開示

意識と意根の修行上の関係

意識と意根の修行の関係は、例えばある人物が演説のために登壇する際、事前に舞台下で十日や半月をかけて準備し、日々精進を重ねてリハーサルを繰り返すことに譬えられる。これは舞台上で一時間や二時間の円滑な演説を実現し、平素入念に準備した内容を一点の曇りなく聴衆に伝え、大衆を感化し心を動かすためである。舞台下での準備は意識の修行に相当し、舞台上の正式な演説は意根の修行に相当する。故に意根を修めることは意識を修めるよりもはるかに重要であり、意根の修行は成否を分かつ鍵であり、修行が成就したか否かの指標となる。仮に舞台下での練習が如何に優れていようとも、本番で力を発揮できなければ聴衆の共感を得られず、観客は舞台裏の努力ではなく舞台上の演技のみを評価するからである。同様に、意識が如何に精進を重ねようとも、その努力が意根にまで浸透しなければ結果は得られず、期待した目標は達成されず、因果は容赦なく、何ら変容をもたらさないのである。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

意根を変えてこそ、一切法を変えることができる

次の記事 次の記事

推論は現量の観察を決して代わり得ません

ページのトップへ戻る