乾慧とは、乾は乾いているという意味で、水がないことを指す。乾慧とは、禅定の水によって潤されていない智慧であり、乾いたままの智慧である。このような智慧は実用的な効果がなく、まるで土に水がなくて泥になれず、泥の粘り気がなくて壁の塗装もできず、床を敷くこともできず、建築もできないようなものである。乾慧も同様で、口が渇くほど語る智慧は、実際には自らの心の内から湧き出たものではなく、実証されたものでもない。意識で学び推論し分析したものに過ぎず、これは単に言葉を学ぶ者の域を出ず、真の智慧ではない。これは修行の最初の段階であり、もしこの段階に留まって究極だと思い込むなら、それ以上進まず、真実の宝の山に入ることはできない。
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