衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年04月26日    金曜日     第5 回の開示 合計1464回の開示

金剛経唯識深義(一二一)

福智無比分第二十四

原文:須菩提よ。もし三千大千世界の中のすべての須弥山王の如き七宝の集まりを以て、人が布施に用いることがあろう。もし人がこの般若波羅蜜経を、四句偈等に至るまで受け持ち読み誦し、他者の為に説くならば、前の福德に比べて百分の一にも及ばず、百千万億分、乃至算数や譬えでも及ばないほどである。

釈:世尊は須菩提に仰せになった。もし人が三千大千世界にあるすべての須弥山に等しい量の七宝を集め布施するならば、その福德は極めて甚大である。しかしながら、この金剛般若波羅蜜経を受け持ち読み誦し、あるいはその中の四句偈を受け持ち読み誦し、さらに他者に説く者がいるならば、両者の得る福德を比べるに、後者は前者を遥かに超越する。経典を受持する者が得る福德は、須弥山の如き七宝を布施する者の得る福德より百倍、百千万億倍、さらには無量無数倍も勝れている。この差異は人間のあらゆる計算方法では測れず、あらゆる譬喩でも表現できないほど甚大である。

一つの三千大千世界には十億、百億の須弥山が存在する。一つの須弥山は地球より無数倍大きく、地球には既に無数の丘や広大な土地がある。仮に人が小さな丘ほどの七宝を布施するだけでも、その福德は計り知れない。ましてや地球全体の七宝を布施し、須弥山に等しい七宝を布施し、さらに十億百億の須弥山に等しい七宝を布施する者の得る福德は、如何なるコンピュータでも計算し尽くせない。これほどの大福徳を仏は「大ならず」と説き、金剛経を受持読誦する福徳とは比べものにならず、その差は計り知れない。たとえ金剛経の四句偈を受持読誦する者の得る福徳でさえ、三千大千世界のすべての須弥山に等しい七宝を布施する福徳を無量倍も超えるのである。

先に説かれた如く、真に金剛経あるいはその四句偈を受持読誦できる者は、真実の般若実相を悟った者に他ならない。彼らこそ金剛経を受持する能力を具え、真に経典を読み誦する方法を知る。金剛経は全て般若実相の智慧功徳を説くもので、その理は甚深中の甚深である。

金剛心を見出し如来蔵を証悟して初めて、如来蔵の法を理解し、その内包を誦出し、如来蔵の法義を受け入れ、次第に如来蔵の理に従って修行し、七識の妄心のすべての心行を転換することができる。これにより、七識妄心の煩悩は漸次消滅し、煩悩習気は薄れ、無明は弱まっていく。如来蔵に依って修行する者は、更に多くの深甚な法義と如来蔵の一切の種子の内包を知り、塵沙の無明惑は次第に減少して遂には尽滅するのである。

——生如法師の開示
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