衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年04月27日    土曜日     第5 回の開示 合計1470回の開示

娑婆世界における現量による認識は信頼できません

娑婆世界において、人々は日常生活の常識を現量の認識と見做しています。しかし、これらの全ての現量認識は八地の菩薩に至る修行の過程で変化し、通用しなくなる可能性があります。その時になって初めて、元来全てが固定された存在ではなく、不変の事物や法則など存在しないことに気付くのです。山は山でなくなり、水は水でなくなる。一切の物質色法の幻影性が、物質色法の不安定さと不確かさを決定づけているのです。

我々は火に燃焼性があり、あらゆる物質色法を焼き尽くすと考えますが、八地の菩薩に至れば、必ずしもそうではないことを悟ります。火の性質は変化し、一枚の紙さえ燃やせなくなるかもしれず、ましてや菩薩の色身を焼くことなどできません。

水に没溺性があると我々は考えますが、八地の菩薩に至れば、必ずしもそうではないことを知ります。一枚の紙さえ濡らせなくなるかもしれず、ましてや菩薩の色身を濡らすことなどできません。

石は食べられないと我々は考えますが、必ずしもそうではありません。大修行者なら完全に石を煮て山芋やジャガイモ、サツマイモのように食べることができるのです。

故に凡夫たちの所謂現量認識は全て誤りで、非量に過ぎません。衆生は過信せぬよう心掛けるべきです。泥人形は全て泥で捏ねられていますが、禅定なき者は捏ねられる側にしかなれず、いったい何を捏ねられるというのでしょう。捏ねられるのは生死輪廻の苦しみだけです。現代人は言葉を学び喜び、暗誦を好み、知識を蓄えることを楽しみ、五車の学を追い求めますが、禅定による実証を好まないのです。

——生如法師の開示
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