衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年04月28日    日曜日     第1開示 合計1472開示

意識の根に修行の習慣を培わせる

問:私は習慣を身につけ、毎晩寝る前に意根と対話しています。検証してみると、仏法に関連するもの(すべて意根に関わるもの)は、一晩中必ずその話題の夢を見ます。もし仏法以外の意根に関係ない他の内容の話題なら、関連する夢は現れません。意根はこれほど大きな選択性を持っているのでしょうか?

答:意根の思心所の機能性は非常に強力です。それは刹那ごとに主導権を握ろうとし、刹那ごとに決断を下し、あらゆる法に対して思量の性質を持ち、すべてを秤にかけます。その主導性と決断性の機能は強大で、いかなる識もこれを代行できません。意根が意識を通じて仏法に触れ、仏法によってしっかりと薫陶されると、心の念いがすべて仏法となり、修行の習慣が身につき、修行の習気が形成されます。そのため眠りについた後もなお思量を続け、あまりに細かく具体的な内容は思量できないため、夢を作り出し、その中で意識を共同参加させるのです。意根が仏法に薫陶されると、他の世俗の法を放棄し、それらは重要ではない、あるいは不如法で捨てるべきだと考え、重要でない法を了別しようとしなくなるかもしれません。そうすると、夢の中では比較的注力している仏法以外の事柄は現れなくなります。

意識の忘却と記憶は、意根の選択性によって生じます。意根が重要だと考える事柄は絶えず攀縁し気にかけ、重要でない、良くないと考える事柄は攀縁せず気にかけません。根と境が接触しなければ意識は現れず、意識は意根が興味を持たない事柄を了別しません。そして意根が興味を持ち重要だと考える事柄を思い出し、回想できるのです。これが記憶と忘却の原理です。したがって、意識が了別する法で、意根の攀縁と了別を経ないものは一つもなく、意根が念じ出さないものはありません。意根が念じず推し進めなければ、意識は生じず了別しません。意根が先に法境を了別した後、興味がなければ意識は現起できず、その法境を知ることができず、その事に関する夢はなおさら現れません。

——生如法師の開示
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意識は夢の中と現実の区別がつきません

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金剛経唯識深義(一二六)

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