慧解脱の阿羅漢が命終する時、意根は三界に対してもはや貪着せず、もはや作意せず、もはや法を見ることを選択せず、法を見ることを欲せず、造作することを欲せず、五遍行心所法が現行しなくなると、意根は必然的に滅することになります。したがって、意根が作意・触・受・想・思を行わなければ、如来蔵は生法を配合せず、意根が三界に対して欲と念がなくなれば、必ず作意・触・受・想・思を行わず、識心はもはや運行できなくなり、五蘊の機能が起こらなくなります。このようにして意根は滅するのです。
意根に心念や欲さえあれば、三界の法に対して攀縁性があれば、五遍行心所法は常に運転を続け、意根は滅することができず、五蘊十八界は常に出生し続け、衆生は三界の中で生と死を繰り返し続けることになります。
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